無限に知らないことのある状況に慣れたい。
それがむしろわくわくしますとか言ってみたい。
梅棹忠夫は、知らないことが無限にある状況に
うまく対処できることを自ら誇りとしていた。
それはたぶん、彼が、かつては
それを自覚的にでないとうまくできないタイプであったか、
もしくは、少なくとも、そういうタイプの人間がいることを
ふまえていたかであったと想像する。
うらやましいので見習いたい。
数学の感触から思うに、
無限・未知を相手にするときは、
有限・既知を相手にするときに比べて、
枠組、構造、定義、が大事になる。
有限だと適当にやってたところを、
概念にしたがって操作をするようになる。
定義のありがたみが身にしみるようになる。
ああ、そうか、
Excelが得意で、
データベースに苦手意識があるのは、
そのせいだったのか。
無限をうまく扱うには、たぶん、
自分で打ったピッケルに安心して足をかけるような心が必要だ。
それに偏重するのもきっとよくない、
技術を過信するマッドサイエンティストみたいになるかもしれない。
けど自分はもうちょっとそれがあってもいいのかもしれない。
ところで、
ここまでは、現実の無限と有限、
未知と既知のことを思っていたが、
以下は単なる数学の話になって、
たかだか加算無限というと安心できるのに、
有限の巨大数であるグラハム数やふぃっしゅ数に直面すると、
不安になるのは不思議だ。
無限のことをきちんと知らないからだ、
無限はほんとはもっと恐ろしいものだ、
というのもそうだろうけど、それだけでもない気がする。
たぶん、自分が、巨大数よりは加算無限のほうが
まだ上手に扱えるし、扱った経験も多いから、怖くないのだ。
有限で具体的なものと、無限で抽象的なものは
(どうにか)見慣れているのに対して、
巨大数は有限なのに抽象的な数だから、
ありえないほど扱いづらいと感じるのだ。