2014年12月25日木曜日

スペイン語の未来形

最近なんとなくスペイン語をやっている。
ちょっとだけ足を踏み入れたメキシコは感じが良かったし、
何かと使う機会もあるかなと思って。

スペイン語は日本人にとって発音が簡単だし、
関西弁とアクセントの相性が良いっぽくて快適。
頂きをきわめる気はまったくなく、
快適と思えるところまで行って帰ってこようと思っている。

上田博人(1988)「スペイン語の未来形の意味」
スペイン語の未来形は「推量形」と呼ぶのがいいんじゃないかという論文。

上田(1988)の提案する各時制の名称は、

未来形→現在推量形
過去未来形→過去推量形
未来完了形→現在完了推量形
過去未来完了形→過去完了推量形

というもの。

スペイン語の未来は、日本語の「〜だろう」みたいな意味が主であって、
時間のことは結果としてそれについてくるだけ、という考え方のようだ。
こうすると「過去未来完了」なんていう意味不明な呼び方から解放されるし、
「現在推量」という呼び方は日本語らしくてなんとも親しみやすからむ。

この論文によると、
スペイン語の「未来形」については海外でも諸説あり、

(1) 時制(tense)として解する説
(2) 相(aspect)として解する説
(3) 叙法(mode)として解する説

日本語の助動詞の「た」を、
過去(時制)とみるか、完了(相)とみるか、
みたいな争いがスペイン語文法の世界にもあるらしい。
上田(1988)の提案は (3) と親和性が高いのかなと思う。(違っていたら直します)

未来形を時制でなく、叙法のひとつ「推量法」と解するなら、

  • 直説法:客観的に事実と考えていることを表す。「〜である」
  • 推量法:主観的に事実と考えていることを表す。「〜だろう」
  • 接続法:事実かどうかに言及しないことを表す。「〜かどうかはさておき」
となる。

意思疎通において、事実(と思っている)かどうかは重要なことなので、
それらに着目した言い分けがあるのはナイスなかんじがする。

そして、これらのそれぞれに、
「現在」と「過去」と「完了」と「過去完了」がある、
ということになって、たいへんすっきりする。

ただこうなると、古めかしいスペイン語でたまに出てくるという
「接続法未来」「接続法未来完了」には居場所がなくなってしまう。
これらが現代スペイン語で使われなくなった理由として、
個人的にはもっともらしく思える。

けども、文法の体系書を編む人にとっては、
これらの居場所がなくなると都合がわるいかもしれない。
もしかしたら、接続法未来という、もはや死せる活用形のせいで、
生きとし生ける学習者が苦労させられているのかもしれない。

と書いて、日本語の文法のことを思った。
日本人は、平安時代の文法にひもづいた「国文法」を習うが、
外国人は、死せる古文を切り捨てた「日本語文法」を習う。
それによって飛躍的に学習効果が高まっている。
他の言語でも、そういうことがあるのかもしれない。

文法おもしろい。

2014年7月11日金曜日

インドネシアの本

インドネシア旅行のためにチェックした本。

ガイドブック



『地球の歩き方』

基本。情報量すごい。

購入したら、すぐにバラしてスキャンして、街ごとにホチキスで再製本して持っていく。旅先では、小冊子で見る場合もあるし、PDFにしたものをiPhone等で見ることもある。この作業は少々面倒なので、早いことPDFか何かでダウンロードできるようになってほしいと思っている。




地誌・歴史


『現代インドネシアを知るための60章』

今回はこの本がいちばん役に立った実感がある。『地球の歩き方』よりも、さらにもう一歩踏みこんで知りたいとき、このシリーズはいつも重宝する。興味ある章を拾うだけでも役に立つし、読み通すと相当なボリュームになる。




 『インドネシアのことがマンガで3時間でわかる本』

天然ガスとか木材とか、若い労働人口が多いこととか、ビジネス目線でインドネシアに興味をもつ人が、興味をもちそうなデータがコンパクトにまとめてある。





水本達也『インドネシア――多民族国家という宿命』中公新書

未読。多民族国家としてインドネシアをとらえたうえでの現代史。同じ中公新書の『経済大国インドネシア-21世紀の成長条件』よりも、自分にとっては優先順位が高い。

インドネシアは、本質的に国際的というか、その国内だけで「世界」を成している国のひとつと感じた。ゆるいつながりはあるものの、バラバラになってもおかしくない諸民族を、標準語の絆でどうにかまとめている。その点では中国に少し似ている。






大槻重之『インドネシア専科』Webサイト

最近これをちまちま読んでいる(行く前に読むには難しすぎた)。
情報量は圧倒的。本にしたら何冊分になることか。
作者は駐在員をされていた方。
経済のみならず、歴史や文化への目配りが広く深い。



語学

降幡正志『インドネシア語のしくみ』

インドネシア語の文法はシンプルすぎるので、この薄い易しい優しい本だけでも、結構なところまでたどりついてしまう。深く知りたい場合は東京外大のインドネシア語学習サイトで補完する。





ドミニクス・バタオネ『インドネシア語が面白いほど身につく本』

軽そうな体裁だが中身は本格的。この本に載ってるフレーズを覚えれば旅行には十分すぎる。
インドネシア語の本は意外に少ないが(ニーズ的にはもっとたくさんあっていい)、そのなかで現状ベストな入門書と思う。
英語だけでも旅行はできるだろうけれど、ほんのすこしだけ覚えていった怪しいインドネシア語は、とくにジャワ島では予想以上に役に立った。



よみもの



金子光晴『マレー蘭印紀行』

金子光晴は戦前生まれの詩人で、南洋や欧州を放浪した人。

旅行記というよりは散文詩。熱帯の濃厚な空気、マレーの風物を描いた作品として名声高い。バトパハの街でロティ(パン)とバナナと珈琲の朝食をとるシーンが有名(?)。

読んでみると意外に社会派で、日本はじめ列強による経済支配を、冷ややかに見る目線が印象に残った。本人は無頼に適当に旅をしているかのような口ぶりで、まあ実際そういう面もあったらしいけども、語学や文化や歴史や地理や時事へのたいへんに深い見識に支えられた作品であることが、旅した後だとしみじみわかった。

面白かったので、より旅行記に特化していそうな『西ひがし』も読んでみたい。

2014年7月4日金曜日

電力小売の自由化と電気料金の自由化

発電所の固定費用(建設費用など)をF、従量費用(燃料費や維持費)を発電量1あたりPとする。発電所が耐用年数を迎えるまでの総発電量をWとすると、発電量1あたりの平均費用は P + F/W となる。以下これを「本来の」平均費用と呼ぶ。

いわゆるグリッド・パリティ、つまり、自然エネルギーのコストが、他のエネルギー(以下では原子力とする)のコストを下回るという条件は、

Px + Fx/Wx < Pn + Fn/Wn

で表される(自然エネルギーの添字をx、原子力の添字をnとする)。既存電力会社が新しく原発を建設するかどうかを検討する際に用いるのは、上記の「本来の」平均費用 Pn + Fn/Wn である。

ところが、既設の原発を利用しつづけるかどうかを検討する際は、建設費用はすでに支払った後である(埋没している)ことから、平均費用を Pn と考えて意思決定を行うのが合理的となる。現行制度および会計基準(※1)のもとで、既存電力会社および政府の行う意思決定は、既存の原発を廃棄して(※2)自然エネルギー発電所を新設するか、あるいは、既存の原発をそのまま利用するか、という形になる。両者を比較して自然エネルギー発電所の新設が選ばれるための条件は、

Px + Fx/Wx < Pn

である。原発の発電コストの大半は固定費用であり、Pnは非常に小さいので、この条件は自然エネルギーにとってきわめて厳しい(※3)。たとえグリッド・パリティが成立していても、この「本来以上に」厳しい条件が満たされない限り、原発を維持するほうが既存電力会社および政府にとって合理的であることになる。

この論理は正しい。この結論を原発反対派が正しくないと考える理由は、事故および廃棄物処理のコストやリスクを、推進派が過小評価していると考えるからである。リスクの評価に正解はなく、両者の議論がかみあうことは未来永劫ない。

ところが、電力小売が自由化されて、新規参入が容易になると、状況が変化する。現行制度では、既存電力会社は、電気料金で発電所の償却費用をまかなうことが要求されている(と思う)。この条件のもとで、原子力を利用する既存電力会社のつけうる最も低い価格は Pn + Fn/Wn となる。いっぽう、自然エネルギーを利用する新規参入会社がつけうる最も低い価格は Px + Fx/Wx となる。新規参入会社が価格競争に勝つ条件は、

Px + Fx/Wx < Pn + Fn/Wn

となり、これはグリッド・パリティの成立条件と一致する。

つまり、電力小売の自由化には、固定費用と可変費用を両方含めた「本来の」発電コスト競争を回復させる効果がある。事故や廃棄物についてのリスク論争が平行線のままであっても、グリッド・パリティが成立すれば、神の見えざる手が自然エネルギー側に有利な決着をもたらしてくれるようになる。

逆に、原発を維持したい勢力にとっては、電力小売の自由化と同時に、既存電力会社の電気料金設定方式の自由化を求めるのが効果的である。償却費用をまかなえないような、 サステイナブルでないダンピングを行うことで、新規参入会社との競争に勝つことができる。さらに、ダンピングが行われるかもしれないという脅威によって、新規参入自体を阻止する効果もある(※4)。この改革は推進派にとって一石二鳥である。というか、二羽目の鳥のほうが大きいかもしれない。

電気料金設定方式の「自由化」という文字面は、一見、公正で、競争を促進するようにみえる。けれども実際には、原発側だけ固定費用を除くことによって、また、ダンピング可能性による新規参入阻止によって、市場の競争条件を原発側に有利なように修正し、競争を阻害する効果がある。反対派はこのことに注意すべきだし、推進派はこれを利用してうまいこと言うといいと思う。

--
※1 原発の資産価値が認められて、減価償却をこれまでどおり行い、原発の廃棄に伴う損失が公費で補填されない場合。
※2 廃棄にかかる費用は(実際には重要だが)ひとまず度外視する。
※3 池田信夫氏によると、Pnは4円程度とのこと。(「原発の燃料費は直接処分の場合で1円/kWhである。 これに運転維持費3.1円を加えると、変動費は4円/kWh程度」)なおこのリンク先で述べられている論理は、上記のものと同じである。
※4 実際にはダンピングが行われなくとも、その可能性があるだけで、新規参入阻止の効果がある。この抑止効果は隠然と作用する。

2014年5月14日水曜日

数式OKのオンラインOCR「Mosha」は日本語力もすごい

オンラインOCRサービスMoshaというのができたそうです。
JPEG・PNGなどの画像を読み取って、テキスト・Word・TeXで出力。
日本語・英語に加えて、数式にも対応。しかも無料。

さっそく試してみました。まずは数式。これが元画像。
ドラッグ&ドロップで認識開始。

結果。おお、完璧。
自分で書いてたのとほとんど同じTeXコマンドが出力されるのが面白い。


Word(doc形式)のファイルとしてダウンロードできる。

もうちょっと複雑だとどうかな。
結果はこんな感じ。


積分範囲の文字のアンダースコアなど、細かい部分も再現されている。
全般に、細部の再現には強い印象。

いっぽう、日本語と記号の混在には弱いかもしれない( U(ん)←U(h) )。
あと、ときどき、数式番号が数式に混ざってしまう。
でもこれは、スクリーンショットを撮るときの工夫で回避できそうではある。

自炊したPDFはどうだろう。(出典:『ファインマン物理学1』岩波書店)

いきなりWordになるのは快感。

数式のOCRは、使いどころが難しいかもしれない。文章とちがって、大雑把では意味が無いことが多いし、ざっくり読み取っておいてあとで検索するという使い方もあまりしないから。そもそも、PDFをまるごと読み込むことは現状できないので、そういう使い方は想定していないのかもしれない。TeX→Word あるいは PDF → TeX / Word 変換のファーストステップとしては使えそう。

あと、数式をOCRで読んでTeXにできるということは、数式の構造を把握できるということだから、たとえば携帯電話で数式撮ってアップロードしたら答えが返ってくるとか、Google Glassで数式見たら答えが見えるとか、似たような構造の式を過去の論文や『公式集』から自動抽出してヒラメキ支援とか、いろいろスゴイことにつながるのかもしれない。

いくつか試すうちに、これ、数式もいいけど、単に日本語OCRとして使える子なのでは、と気がついた。そこで、以前の記事で使ったサンプルを認識させてみた。

認識結果はこんなかんじ。
羊乳から作ったペコリーノチーズ
Peconnoも島の特産だ。 このチーズ
は料理用として、 また、 テーブルチ
--7"として食される。本土では牛乳
からつくられることが多い、 リコッ
タチーズもこの地では羊乳製。滑ら
かでクリーミーな優しい口当たりは
絶品。作りたてのリコッタチーズ

オンラインの日本語OCRサービスを試した中では圧倒的に優秀。
オフラインのOCRソフトの最強レベルにも負けてない。

ということで、Mosha、数式を使わない文章にもおすすめです。

2014年4月20日日曜日

自給と政府

食料自給率を高めることは、政府に、戦争を遂行するインセンティブを与える。

一般に、政府は国民よりも戦争を好む。戦争になれば、国家内での政府の権力を高めることができるし、政府構成員の社会的地位や生活水準も、一般人に比べて相対的に高まるからだ。

戦争をするには、国民の士気を保ち、ある程度の支持を獲得する必要がある。その際、もし、戦争をすると食料輸入が止まって飢餓に陥るという危険があれば、戦争に反対する国民は増える。逆に、食料を自給できる体制があれば、戦争に賛成する国民は増える。これは戦争をしたい政府にとっては望ましい事態となる。

すると、有事のために、自給率を高めるというのは、むしろ逆効果である可能性がある。自給率を高めることが、逆に有事の可能性を増すことになる。

--

ここからただちに、TPPに賛成だとか、そういうことにはならない(それはたいへん複雑な問題だ)。しかしひとまず、政府の判断にはそういうバイアスがある、ということを頭においておくのは、価値があることと思う。

各国の政府は自給率を高めたがるものだが、そうさせずに、国家間の相互依存関係を強めることによって戦争を抑止しよう、という考え方は、珍しいものではない。というか、ごくありきたりのものだ。あれだ、ブレトン・ウッズ体制。

でも、この論理は、政府の口からはなかなか出てこない。国家に戦争をさせないためのしくみというのは、その性質上、政府(≠国民)にとって煙たいものだ。「政府は信用できないものだし、国民を害するような戦争をしたがるものだ。だから、政府の力をコントロールしましょう」なんてことを自ら言える政府があればそれはあっぱれだけども、現実はなかなかその域に達していない。

--

ところで、何かあったときに食べるものがあるかどうか、ということに関して、国内自給率を判断基準にするのは、適切でないのかもしれない。国内自給率を高く保つことと、有事のときに個人が飢えないこととは、ほとんど関係ない、といっては言い過ぎかもしれないが、少なくともかなり距離がある。

意味があるのは、国内なんていう広すぎる範囲での自給ではなく、助け合う意思のあるコミュニティ内での自給なのかもしれない。

コミュニティというのは必ずしも地域でなくてもよくて、親戚でもなんでもいいのだけど、戦争のときに着物を持って行ったら米や野菜をくれるような間柄のなかで、自給できるだけの体制があれば、有事のときの安心は増すだろう。もしかすると、失業したときとか、もうすこしマイルドな困難を乗り切るのにも役立つのかもしれない。

開国以来、自給率が問題になるような「有事」があったことは一度だけだ。そのとき、政府は本当に、国民や兵士が飢餓に陥らないことに全力を尽くしただろうか。政府はいったい何のために戦っていただろうか。

2014年1月21日火曜日

MacのプレビューでPDFの透明テキストが失われる

PDFを快適に読むにはどうすればいいか。単に読むだけなら、たとえばiPadのi文庫HDで読むのはとても気持ちいい。では、ラインを引いたりメモを書きこんだりしつつ読みたいときはどうすればいいか。

試した中でいちばん快感を覚えたのは、MacBook Airで、Mac OSの「プレビュー」で読む方法だった。インターフェイスがすっきりしている。アイコン等が目障りだとイヤなのだ。余分なソフトをインストールしなくていいし、操作にも慣れているし、速度もまあまあ。

この機能は、Mac OSがLionのときから愛用していた。難しい本は読む前にバラして、ScanSnapでスキャンして、AcrobatでOCRをかけて透明テキストを埋めこむ。OCRをかけるのは、テキスト抽出のためでも検索のためでもなくて、ただハイライトやアンダーラインなどの注釈をつけやすくするためだ。

OSをLionからMavericksにバージョンアップすると、プレビューのPDF編集機能も改善されていた。感心したのはこの、微妙に波打った蛍光ペンの表現。単にハイライトなのか、それとも画像かなんか乗せてるのだろうか。
リアルの本に蛍光ペンを長々と引くのはなんだかためらわれる。インクで紙が波打ったりするし、塗りまちがったら汚くなる。電子媒体ならそれがないし、なにより、塗った後で消したり色を変えたりできる。「塗ったあとで色を変えられる」、なんてすごいことだ。昔の人が聞いたらびっくりだ。そこには蛍光ペンのイデアだけがあるのだ。

PCで書きこみをするなんて、まどろっこしい、と思っていた。ところが、意外なことに紙より速いのだ。紙を読んでいるとき、書きこみにかかる時間を、試しに計ってみた。すると、単語の囲みや一行のアンダーラインには5秒、複数行の囲みやアンダーラインは10秒。メモを書きこむには1文字あたり1秒かかっていることがわかった。

PDFへの書きこみは、単語や一行だと同じくらいだが、複数行やメモだと紙よりもずいぶん速い。上記画像で、手でハイライトをつけるなら三行ぶん手を動かさねばならない。しかしPDFなら青の矢印のぶんだけカーソルを動かせばいい。そして、書きこみの見やすさや再利用性は圧倒的にPDFのほうが優れている。だから紙の本をわざわざスキャンしてでもPDFにするのだ。

…と、ここまでは読書電子化極楽話なのだけど、困ったことがおきた。

Mavericks(10.9.1)のプレビューで、透明テキストつきのPDFを編集して保存すると、透明テキストが全部失われてしまうようだ。しかも、手動で保存しなくても、編集した時点で自動保存されるので、何か編集を開始したら、透明テキストもろとも注釈は失われ、二度と返ってこない。It's gone in the air. You can never capture it again. なお、編集しなくても「複製」だけでも同じ現象が起こるようだ。

PDF自体は、また自炊すれば手に入る。しかし注釈は、再現不可能な個人オリジナルの情報だ。それが強制上書で消えてなくなるのは怖ろしい。その症状と、その恐怖は、この「自動保存でフォトショップのレイヤーが統合される」件に似ている(→【重要な問題!!】Mac OSX 10.7 Lionのプレビューは危険!?

Lionのときはこんなことはなかったと思うのでMavericksのバグかなあ。ネットで調べても情報がみつからないので、とりあえず書いてみました。また新しい読み方を探さないと。

2015/7/17 追記:10.10.4 で直ったかも

2014年1月16日木曜日

海外で現地SIMを使っているときに日本の番号に来た着信を知るには

追記(2017/12):
MVNO + 留守番転送サービスを使うようになって、
以下は過去の内容になりました。
---

SIMフリーのiPhoneをSoftbankで使っている。
海外にいくと現地のSIMカードを入れることが多い。

SoftbankのSIMカードを抜いてるとき、
着信はどうすれば把握できるか。
あるいは他の連絡手段で連絡してもらうにはどうすればよいか。
とりあえず調べたことをメモ。
(こういうのをイチから考えるのはけっこうしんどい)

SIMカードを抜いている状態は、
電源を切っている状態と同視してよいらしい。
電源を切っているときの着信お知らせ機能は、
Softbankにもある。そしてSMSは海外でも受信できる
(受信は無料。送信は1通100円もするので現地SIMで行う)

つまり、ときどき日本のSIMをいれるようにすれば、
SMSで受信が確認できるということか。
(何日ぐらい保存してくれるんだろう)

まあいいけど、ちょっと面倒。PCからは見られないのかな。

ソフトバンクでは「どこでもアクセス」を契約すれば、
PCからMMSは見られるようになる。
しかしSMSとiMessageは見られない。中途半端すぎ。

要は「携帯電話の電源を切っているとき、
着信履歴を任意のE-mailアドレスに送信する機能」
があればいいんだけど、ないのかな。あってほしい。

そもそも、SIMカードという物理的なしくみを早くなくしてほしい。
まあでも、以前に比べれば激しく便利だし、こんなものかな。