2017年12月22日金曜日

ごはんづくり(正常財としての)

毎日の食事は、貧乏だと自分で作るしかない。すこし豊かになると、外食で手間を省くことができるようになる。もっと豊かになると、自分の食べるものを自分の好きなように手間をかけて作ることが贅沢になる。

農業もそれと同じで、かつては外貨を獲得するための産業だった。あるときから、工業に注力するために農業にはあまり資源を割かずに輸入に頼るほうがいい、となった。

いま、世界は、農業で稼ごうというよりは、食べるものについて安心できるようにするために、農業を自分のところのものにしようとしている。貿易は、食糧という必需のレベルではなく、食べ物という贅沢のレベルで行われようとしている。

そんな中で、日本だけは、農業を必需のレベルでばかり見ようとしている。これが貧乏の結果なのか、原因なのかはわからない。

たとえば自給率を気にするなら、それは必需のためではなく、一周回った贅沢のためであればよいとおもう。