2020年2月13日木曜日

旅 東アフリカ 01

初めてアフリカに行ってきた。アフリカ旅行も、他の海外旅行と同じように、時間を確保して航空券を買ってホテルを予約して、あとは予防接種とかビザとか多少の面倒はあるにしても、行ってしまえばふつうに行ける。

とはいえ、やっぱり情報が少ない。2020年現在、日本語の最新のガイドブックは4年前のものだ。出発前にフォートラベルも個人のブログも、世界一周旅行者たちのブログも、何度も読んだ。旅先で会う日本人たちもみんなそうで、全員が全ブログを全部読んでるのではないかと思うほどだった。

行くとなると相当しょうもないことでも役に立つもので、たとえば「この場所はくつろげそうかどうか」がわかるだけで、あそこにいったらあのくらいくつろげるんだな、みたいな心構えができて、それだけでも旅が少し快適になったりする。

だから今回は、とりとめなく、旅のことをただただ書いてみようと思う。もし何かが誰かの役に立つことがあればうれしい。

Day 1 (2019/12/25): 東京→アジスアベバ→カンパラ


クリスマスイブの夜に、エチオピア航空で成田を出発。ゲートで搭乗前に名前を呼ばれる。予期せぬアップグレードでビジネスクラスに。席はフルフラットではなくライフラット、このタイプの席は初めて。オープンなので、前に乗ったエアカナダのようなおこもり感はなく、横になれる深夜バスの座席。とはいえ、ありがたい。修行の功徳か。



食事。東京を出たときと、

ソウルを出たときと、



同じボリュームの同じようなメニューの機内食が2回出る。2回めは夜中2時に…。サーモンはとても美味しい。元宗主国のイタリアの影響か、ときどき奥の深い美味しさがある。(と、このときは思っていたけれど、帰路のエコノミーの食事を経た今となっては褒めすぎと感じる。)

隣は、航空マニアのケニア人氏。完璧すぎる日本語を話し、ふるさと納税では何を頼むのがいいですかね~とか日本になじみすぎている。おもしろいけど身体に比例して声が大きく、周りの人からあの人うるさいから声を小さくさせてくれといわれて板挟みになって恐縮する。

朝食はパンケーキにしてみた。



ビジネスクラスの常で、あっという間にアジスアベバ到着。基本的人権のある人間が、長時間乗る飛行機としては、このくらいが標準であってほしいなどと思う。いつものエコノミークラスに戻ると、住めば都、と思うのだけども。


ターミナルに横付けしてるのに、なぜかボーディングブリッジは伸ばさない。この便の常連であるケニア人氏いわく、エチオピア航空はどんなに空いていても必ずバス移動で、意地でもブリッジを使わないのだとか。お客からすると圧倒的にブリッジが楽なのだけど…。

乗継時間は1時間。ふつうにターミナルを経由しても間に合いそうだが、バスに乗せられて次の飛行機へ直接移動。ナイロビ、モンバサ、ウィントフックなど、アフリカのいろんなところへ行く人がいる。隣の席に乗り合わせたご婦人は、日本からのツアーでコートジボワールのアビジャンへ行かれるとか。エチオピア航空は日本や韓国からアフリカへの数少ない直行便で、南・東・西・北のどのアフリカに行くにも最適ルートのひとつ。アジスアベバは見事にハブとして機能している。

次の飛行機に乗り込む。身体を伸ばす間もトイレに行く間もないのはちょっとつらい。日本発の便を出て、現地発の便に乗り継ぐと、完全にアウェイになる。とくにここはアフリカなので、周りの人がみんなアフリカ人になって、海外に来ているのだ、気を引き締めなければ、と思う。

2時間半ほどのフライトで、エンテベ空港に到着。eVisaを申請してあるので入国審査は他の国と同じ。殺風景な空港で、WiFiも飛んでいない。SIMを売っている売店には人がいない。ATMは使える。タクシーは、はじめ20万だか15万だかいわれたが、相場とされている10万シリングを言ってみたらあっさりとOKになった。旅の両替はATM派。ATMで使うのは、その道で有名なセディナカード。現地ATM手数料はちゃんと無料だった。

ついでにネットは現地SIM派。今回はeSIMに初挑戦。あの小さなnanoSIMをなくさないかと怯えながら抜き差ししないでいいので便利。eSIMのアクティベートには、スマートフォンのカメラでQRコードを読み取る必要がある、つまり、使いたいスマートフォン以外のものにQRコードをダウンロードしておく必要がある。端末複数台持ちが前提というのはハードル高い気がするけど、もう世界はそういうものなのだろうか。自分の場合はMacBookをもっていくので、そちらにAirDropでスクリーンショットをコピーして、無事にアクティベートできた。まあまあつながるが、ときどき途切れる。SIMのせいなのかはわからない。ウガンダの場合、電気もときどき途切れるようなので、ネットが途切れるのも不思議はない。eSIMはどこのキャリアがどこの国に対応しているか探すのが大変なので、検索サイトesimdbが便利。ウガンダではAiraloを使った。

タクシーの運ちゃん、市内についてから結構遠かったからもう数万シリングほしいとか言ってる気がしたけれど笑ってスルー。〔シャングリ・ラ〕に到着。シャングリ・ラに3000円で泊まれて幸福、といいたいとこだがおそらく名前だけで関係はないホテルだろう。丘の上にあって、思ったよりもアクセスは良くない。どこにいくにもボダボダに乗らないといけない。夜は人通りがないのでちょっと歩けない。ただまあ、車なりバイクなりに乗ればすむことではある。この街ではどこに泊まるのが便利なのか、結局よくわからなかった。

部屋は古いけれど、手入れされた味があって、大きなバスタブもついていた。このホテルは宿泊客はランドリー無料という太っ腹なサービスがあって、試してみたかったが、朝に出して夕方に上がるというスケジュールに合わなかった。

少し部屋で休んだあと、市内探索へ。緊張して歩き出したが、大丈夫そうだ。

オールド・タクシーパークと、ナカセーロ市場へ。カンパラのダウンタウンのこのあたりはあまりがらの良くない所とされていて、人が多くてガサガサしている感じではあるけれど、凶悪だったり殺風景だったりではなかった。どこにいっても、とにかく目立つ。ハウアーユー、チャイナ!と声をかけられる。ほっとけばいいのにノー・チャイナ!と笑顔で返すのが旅の最後まで挨拶代わりになっていた。

現地で働いていた友人に、ウガンダのパイナップルはそれはもう美味しいものだと聞いていた。ナカセロ市場でパイナップルを売っていた。気がついたら買っていた。ウガンダで初めての買い物。大きなお札をよくわからないまま出して、適当にお釣りをもらう。食べてみると、なるほど甘い、決して酸っぱくないわけではないけれども口が痛くなるようなことはなくてひたすらジューシーで、香り高い。ウガンダのパイナップルには芯という概念は無いので、スライスするとドーナツ型ではなく円盤型になる。


おいしいパイナップルといえば、台北でごはんをごちそうしてくれた紳士を思い出す。台湾の仕事をするうちに、台湾が好きになって移住したそうだ。紳士いわく、台湾の生活で何がいいかって、フルーツが美味しいことですよ、マンゴーもライチもいいけれど、私はパイナップルですね、日本で食べるのとは全く別物、あの季節になってきたときの、芯まで甘いのがたまらない、しかも信じられないほど安い、夜に屋台で売ってるのをまるごと買って、冷蔵庫で冷やしておいて、毎朝食べるんです、と。その話を聞いてから、自分の中でパイナップルは、外国にいて自由であることの喜びと結びついている。

ナカセロ市場では、地べたに物を広げて売っている。日本でも卸売市場では地べただし特に珍しいことでもないのかもしれないけれど、町中の駐車場みたいなところなので若干新鮮ではある。歩いているととにかく声をかけられる。声をかけられる写真は快く撮らせてもらえる。


ウガンダ名物の食用バナナ、マトケ。


ひとしきり歩いたあと、おもむろにボダボダ(バイクタクシー)に声をかけて乗ってみた。後部座席用のヘルメットはないのかと言うと運転手自身のものをかぶらせてくれた。

3000シル(90円)でウガンダ博物館へ。メリークリスマス!と迎えてくれた。先史時代から現在までのウガンダの歴史、生活文化の展示。展示はよくまとまっていて見やすい。客観的に陳列するというよりはテーマを伝えようとする、英米系の美術館らしいプレゼンテーション志向。

特設展でイディ・アミンの展示をしていた。ボクシングで東アフリカのヘビー級チャンピオンという肩書を持つ、ウガンダの元大統領。嗜虐的な大量殺戮で悪名高い、アフリカの独裁者の代名詞的な存在。その名は極東に伝わると、響きがかわいいということで、岡村孝子のユニット名「あみん」となった。

ひと通り見て帰りがけ、係員のおねいさんと立ち話。メリークリスマス、ハウアーユー?と挨拶したら、何がメリーなものか、世間はホリデーだっていうのに私はこんなところで労働で、子供の相手ばっかりさせられて、まったくロクでもないクリスマスだわ、と長い返事がかえってきた。裏に伝統的家屋の展示があるときいたけど、というと、ヒマだから連れて行ってあげる、とのことで案内してくれた。こんもりとした草作りの家。入口が狭くて中は暗い。そのあと色々なところで、この様式の家を見ることになる。東アフリカの原風景か。

足を伸ばして、マケレレ大学にいってみた。ウガンダで一番の名門で、東アフリカで最も歴史のある大学のひとつ。植民地時代は、ここにケニアやタンザニアから学生が集まっていたという。この場所に、旧ソ連のようなコスモポリタンな雰囲気というか、国境を超えたエリート層の連帯みたいなものがあったことを想像してみる。学内は普通にきれいだった。ハシビロコウだかハゲコウだか、歩いている状態で1メートル以上もあるバカみたいに大きな鳥がいた。木の枝がおれないのかと心配になるほどたくさんいて、東京のカラスのように傍若無人にごみをあさったり大声で鳴いたりしている。しゅっとしたスーツを着て歩く男がいた。世界で一番スーツが似合うのは黒人ではないかと思った。

ボダボダでアカシア・モールへ。市内中心部ではいちばんのショッピングモールだろうか。周りには人が全然いないのにここだけは新宿駅構内ぐらい人で溢れていて、歩くのにも苦労するほど。今どきのアフリカの都会らしい何かを感じられるかとあらぬ期待をしていたけれど、物販にしても飲食にしても、とくにどうというものは見あたらなかった。人が多くてスーパーに入る気もしない。


疲れた。カプチーノ(300円)を注文してとにかく座る。ケニアに本店のあるフランス風のカフェ。お腹も空いたけれど、あとでアフリカらしいものをちゃんと食べたいと思い、デニッシュだけにしておく。

信じられないほどの大雨が降ってきた。シャワーではなく、それこそバケツを引っくり返したような雨。止むまでは移動できそうにない。肌寒いカフェで過ごす。

その間、明日のサファリツアーの調整をする。ウガンダでバックパッカー向けのサファリツアーを開催しているレッドチリ社に申し込んでいたが、直前まで参加者が集まらず、もともと他にもう1人いて2人だったのが、前日になって結局キャンセルされて1人になって、ツアーは中止に。2日後にあるからそっちに参加してくれと言われたが、短い日程の旅でそこまで融通は効かない。あーサファリいけないかー、いくとしたら大枚はたいて個人で車を手配して大名サファリ、それを前日夕方の今から手配できるとは思えない。

憂鬱になっていたら、レッドチリから返事。行きたいなら車を手配できると。でもお高いんでしょう?と見積をたのんでみたら、思ったよりは安かった。少しおまけもしてくれて、ツアー料金の2倍弱。部屋はテントではなくロッジ、車はサファリ用の車両を手配してくれるという。この天井の開くのに乗ってみたかったのだ。OK!。

予定が決まって、ほっとした。雨がやんで、宿に帰る。このモールのあるアカシア通りというのがメインストリートのひとつとおもっていたが、実際のところはレストランがポツポツ建っているだけの道。道沿いのレストランは「ラウンジ」とかいてあって、バーやサウナもいっしょになっているスタイルで、どうもひとりでは入りにくい。宿のレストランは中華料理で、それもちょっと。トリップ・アドバイザーで店を検索して、ボダボダを飛ばしていってみたけれど、クリスマスで休み。あーあ、食難民。

仕方がないので、アカシア・モールにもう一度戻って、フードコートのアフリカ料理屋で食事(写真は照明ですごい色に…)。チキンのシチュー。主食はライスと、マトケ(食用バナナ)を茹でて潰したもの。ウガンダは主食の種類が多く、何種類か盛り合わせて食べるのも特徴だとか。チキンのシチューはスパイス控えめで野菜の甘さのある優しい味だった。値段は24,000シリング(700円)。現地の物価からすると、とっても高いけれど、フードコートは満員だった。

部屋に戻って、翌朝に備えて就寝。