2020年2月13日木曜日

旅 東アフリカ 01

初めてアフリカに行ってきた。アフリカ旅行も、他の海外旅行と同じように、時間を確保して航空券を買ってホテルを予約して、あとは予防接種とかビザとか多少の面倒はあるにしても、行ってしまえばふつうに行ける。

とはいえ、やっぱり情報が少ない。2020年現在、日本語の最新のガイドブックは4年前のものだ。出発前にフォートラベルも個人のブログも、世界一周旅行者たちのブログも、何度も読んだ。旅先で会う日本人たちもみんなそうで、全員が全ブログを全部読んでるのではないかと思うほどだった。

行くとなると相当しょうもないことでも役に立つもので、たとえば「この場所はくつろげそうかどうか」がわかるだけで、あそこにいったらあのくらいくつろげるんだな、みたいな心構えができて、それだけでも旅が少し快適になったりする。

だから今回は、とりとめなく、旅のことをただただ書いてみようと思う。もし何かが誰かの役に立つことがあればうれしい。

Day 1 (2019/12/25): 東京→アジスアベバ→カンパラ


クリスマスイブの夜に、エチオピア航空で成田を出発。ゲートで搭乗前に名前を呼ばれる。予期せぬアップグレードでビジネスクラスに。席はフルフラットではなくライフラット、このタイプの席は初めて。オープンなので、前に乗ったエアカナダのようなおこもり感はなく、横になれる深夜バスの座席。とはいえ、ありがたい。修行の功徳か。



食事。東京を出たときと、

ソウルを出たときと、



同じボリュームの同じようなメニューの機内食が2回出る。2回めは夜中2時に…。サーモンはとても美味しい。元宗主国のイタリアの影響か、ときどき奥の深い美味しさがある。(と、このときは思っていたけれど、帰路のエコノミーの食事を経た今となっては褒めすぎと感じる。)

隣は、航空マニアのケニア人氏。完璧すぎる日本語を話し、ふるさと納税では何を頼むのがいいですかね~とか日本になじみすぎている。おもしろいけど身体に比例して声が大きく、周りの人からあの人うるさいから声を小さくさせてくれといわれて板挟みになって恐縮する。

朝食はパンケーキにしてみた。



ビジネスクラスの常で、あっという間にアジスアベバ到着。基本的人権のある人間が、長時間乗る飛行機としては、このくらいが標準であってほしいなどと思う。いつものエコノミークラスに戻ると、住めば都、と思うのだけども。


ターミナルに横付けしてるのに、なぜかボーディングブリッジは伸ばさない。この便の常連であるケニア人氏いわく、エチオピア航空はどんなに空いていても必ずバス移動で、意地でもブリッジを使わないのだとか。お客からすると圧倒的にブリッジが楽なのだけど…。

乗継時間は1時間。ふつうにターミナルを経由しても間に合いそうだが、バスに乗せられて次の飛行機へ直接移動。ナイロビ、モンバサ、ウィントフックなど、アフリカのいろんなところへ行く人がいる。隣の席に乗り合わせたご婦人は、日本からのツアーでコートジボワールのアビジャンへ行かれるとか。エチオピア航空は日本や韓国からアフリカへの数少ない直行便で、南・東・西・北のどのアフリカに行くにも最適ルートのひとつ。アジスアベバは見事にハブとして機能している。

次の飛行機に乗り込む。身体を伸ばす間もトイレに行く間もないのはちょっとつらい。日本発の便を出て、現地発の便に乗り継ぐと、完全にアウェイになる。とくにここはアフリカなので、周りの人がみんなアフリカ人になって、海外に来ているのだ、気を引き締めなければ、と思う。

2時間半ほどのフライトで、エンテベ空港に到着。eVisaを申請してあるので入国審査は他の国と同じ。殺風景な空港で、WiFiも飛んでいない。SIMを売っている売店には人がいない。ATMは使える。タクシーは、はじめ20万だか15万だかいわれたが、相場とされている10万シリングを言ってみたらあっさりとOKになった。旅の両替はATM派。ATMで使うのは、その道で有名なセディナカード。現地ATM手数料はちゃんと無料だった。

ついでにネットは現地SIM派。今回はeSIMに初挑戦。あの小さなnanoSIMをなくさないかと怯えながら抜き差ししないでいいので便利。eSIMのアクティベートには、スマートフォンのカメラでQRコードを読み取る必要がある、つまり、使いたいスマートフォン以外のものにQRコードをダウンロードしておく必要がある。端末複数台持ちが前提というのはハードル高い気がするけど、もう世界はそういうものなのだろうか。自分の場合はMacBookをもっていくので、そちらにAirDropでスクリーンショットをコピーして、無事にアクティベートできた。まあまあつながるが、ときどき途切れる。SIMのせいなのかはわからない。ウガンダの場合、電気もときどき途切れるようなので、ネットが途切れるのも不思議はない。eSIMはどこのキャリアがどこの国に対応しているか探すのが大変なので、検索サイトesimdbが便利。ウガンダではAiraloを使った。

タクシーの運ちゃん、市内についてから結構遠かったからもう数万シリングほしいとか言ってる気がしたけれど笑ってスルー。〔シャングリ・ラ〕に到着。シャングリ・ラに3000円で泊まれて幸福、といいたいとこだがおそらく名前だけで関係はないホテルだろう。丘の上にあって、思ったよりもアクセスは良くない。どこにいくにもボダボダに乗らないといけない。夜は人通りがないのでちょっと歩けない。ただまあ、車なりバイクなりに乗ればすむことではある。この街ではどこに泊まるのが便利なのか、結局よくわからなかった。

部屋は古いけれど、手入れされた味があって、大きなバスタブもついていた。このホテルは宿泊客はランドリー無料という太っ腹なサービスがあって、試してみたかったが、朝に出して夕方に上がるというスケジュールに合わなかった。

少し部屋で休んだあと、市内探索へ。緊張して歩き出したが、大丈夫そうだ。

オールド・タクシーパークと、ナカセーロ市場へ。カンパラのダウンタウンのこのあたりはあまりがらの良くない所とされていて、人が多くてガサガサしている感じではあるけれど、凶悪だったり殺風景だったりではなかった。どこにいっても、とにかく目立つ。ハウアーユー、チャイナ!と声をかけられる。ほっとけばいいのにノー・チャイナ!と笑顔で返すのが旅の最後まで挨拶代わりになっていた。

現地で働いていた友人に、ウガンダのパイナップルはそれはもう美味しいものだと聞いていた。ナカセロ市場でパイナップルを売っていた。気がついたら買っていた。ウガンダで初めての買い物。大きなお札をよくわからないまま出して、適当にお釣りをもらう。食べてみると、なるほど甘い、決して酸っぱくないわけではないけれども口が痛くなるようなことはなくてひたすらジューシーで、香り高い。ウガンダのパイナップルには芯という概念は無いので、スライスするとドーナツ型ではなく円盤型になる。


おいしいパイナップルといえば、台北でごはんをごちそうしてくれた紳士を思い出す。台湾の仕事をするうちに、台湾が好きになって移住したそうだ。紳士いわく、台湾の生活で何がいいかって、フルーツが美味しいことですよ、マンゴーもライチもいいけれど、私はパイナップルですね、日本で食べるのとは全く別物、あの季節になってきたときの、芯まで甘いのがたまらない、しかも信じられないほど安い、夜に屋台で売ってるのをまるごと買って、冷蔵庫で冷やしておいて、毎朝食べるんです、と。その話を聞いてから、自分の中でパイナップルは、外国にいて自由であることの喜びと結びついている。

ナカセロ市場では、地べたに物を広げて売っている。日本でも卸売市場では地べただし特に珍しいことでもないのかもしれないけれど、町中の駐車場みたいなところなので若干新鮮ではある。歩いているととにかく声をかけられる。声をかけられる写真は快く撮らせてもらえる。


ウガンダ名物の食用バナナ、マトケ。


ひとしきり歩いたあと、おもむろにボダボダ(バイクタクシー)に声をかけて乗ってみた。後部座席用のヘルメットはないのかと言うと運転手自身のものをかぶらせてくれた。

3000シル(90円)でウガンダ博物館へ。メリークリスマス!と迎えてくれた。先史時代から現在までのウガンダの歴史、生活文化の展示。展示はよくまとまっていて見やすい。客観的に陳列するというよりはテーマを伝えようとする、英米系の美術館らしいプレゼンテーション志向。

特設展でイディ・アミンの展示をしていた。ボクシングで東アフリカのヘビー級チャンピオンという肩書を持つ、ウガンダの元大統領。嗜虐的な大量殺戮で悪名高い、アフリカの独裁者の代名詞的な存在。その名は極東に伝わると、響きがかわいいということで、岡村孝子のユニット名「あみん」となった。

ひと通り見て帰りがけ、係員のおねいさんと立ち話。メリークリスマス、ハウアーユー?と挨拶したら、何がメリーなものか、世間はホリデーだっていうのに私はこんなところで労働で、子供の相手ばっかりさせられて、まったくロクでもないクリスマスだわ、と長い返事がかえってきた。裏に伝統的家屋の展示があるときいたけど、というと、ヒマだから連れて行ってあげる、とのことで案内してくれた。こんもりとした草作りの家。入口が狭くて中は暗い。そのあと色々なところで、この様式の家を見ることになる。東アフリカの原風景か。

足を伸ばして、マケレレ大学にいってみた。ウガンダで一番の名門で、東アフリカで最も歴史のある大学のひとつ。植民地時代は、ここにケニアやタンザニアから学生が集まっていたという。この場所に、旧ソ連のようなコスモポリタンな雰囲気というか、国境を超えたエリート層の連帯みたいなものがあったことを想像してみる。学内は普通にきれいだった。ハシビロコウだかハゲコウだか、歩いている状態で1メートル以上もあるバカみたいに大きな鳥がいた。木の枝がおれないのかと心配になるほどたくさんいて、東京のカラスのように傍若無人にごみをあさったり大声で鳴いたりしている。しゅっとしたスーツを着て歩く男がいた。世界で一番スーツが似合うのは黒人ではないかと思った。

ボダボダでアカシア・モールへ。市内中心部ではいちばんのショッピングモールだろうか。周りには人が全然いないのにここだけは新宿駅構内ぐらい人で溢れていて、歩くのにも苦労するほど。今どきのアフリカの都会らしい何かを感じられるかとあらぬ期待をしていたけれど、物販にしても飲食にしても、とくにどうというものは見あたらなかった。人が多くてスーパーに入る気もしない。


疲れた。カプチーノ(300円)を注文してとにかく座る。ケニアに本店のあるフランス風のカフェ。お腹も空いたけれど、あとでアフリカらしいものをちゃんと食べたいと思い、デニッシュだけにしておく。

信じられないほどの大雨が降ってきた。シャワーではなく、それこそバケツを引っくり返したような雨。止むまでは移動できそうにない。肌寒いカフェで過ごす。

その間、明日のサファリツアーの調整をする。ウガンダでバックパッカー向けのサファリツアーを開催しているレッドチリ社に申し込んでいたが、直前まで参加者が集まらず、もともと他にもう1人いて2人だったのが、前日になって結局キャンセルされて1人になって、ツアーは中止に。2日後にあるからそっちに参加してくれと言われたが、短い日程の旅でそこまで融通は効かない。あーサファリいけないかー、いくとしたら大枚はたいて個人で車を手配して大名サファリ、それを前日夕方の今から手配できるとは思えない。

憂鬱になっていたら、レッドチリから返事。行きたいなら車を手配できると。でもお高いんでしょう?と見積をたのんでみたら、思ったよりは安かった。少しおまけもしてくれて、ツアー料金の2倍弱。部屋はテントではなくロッジ、車はサファリ用の車両を手配してくれるという。この天井の開くのに乗ってみたかったのだ。OK!。

予定が決まって、ほっとした。雨がやんで、宿に帰る。このモールのあるアカシア通りというのがメインストリートのひとつとおもっていたが、実際のところはレストランがポツポツ建っているだけの道。道沿いのレストランは「ラウンジ」とかいてあって、バーやサウナもいっしょになっているスタイルで、どうもひとりでは入りにくい。宿のレストランは中華料理で、それもちょっと。トリップ・アドバイザーで店を検索して、ボダボダを飛ばしていってみたけれど、クリスマスで休み。あーあ、食難民。

仕方がないので、アカシア・モールにもう一度戻って、フードコートのアフリカ料理屋で食事(写真は照明ですごい色に…)。チキンのシチュー。主食はライスと、マトケ(食用バナナ)を茹でて潰したもの。ウガンダは主食の種類が多く、何種類か盛り合わせて食べるのも特徴だとか。チキンのシチューはスパイス控えめで野菜の甘さのある優しい味だった。値段は24,000シリング(700円)。現地の物価からすると、とっても高いけれど、フードコートは満員だった。

部屋に戻って、翌朝に備えて就寝。

2019年7月26日金曜日

to know what I love


プログラミングは開発の2割
http://key-sys.com/breakdown-of-development-process/
という記事を読んだ。まあそんなもんかなと調べたら、ソフトウェアメトリクス、というのがあった。おもしろい。
http://www.juas.or.jp/cms/media/2018/05/swm18_kh_ppt.pdf

そして、これがまとめたのがITシステム屋さんではなく、システムの購入者の団体であるというのが気になった。そしてその団体は経済産業省と縁が深いことにも。

買う人たちがなぜこんなに工数や工程を気にするのだろう。好きなものを好きな値段で作ってもらえばいいのに。

発注側が、ITの価値をわかっていなくて、システムの値段を自分でつけられない。そこで原価を覗きこもうとする。
工数にこだわり、工程を管理しようとする。

それはつまり素人が作り方を指示することになる。現場の士気は下がるし、技術は古いままになる、などなど、いろいろと、作る人は作りたいように作り、欲しい人が欲しいものを買う、普通の経済活動の世界では想像のつかないような残念なことがおこる。

王様が自分の望む料理を作らせているのでは、料理は一定程度を超えては発展せず、伝統形式に固執しがちになる。
オーダーメイドの服屋は往々にして何十年もダサいままになりがちだったりする。どちらも幸福な例外はあるけれど。

システムを買う側が、その価値に値段をつけられない、というような事態がおこるのは、自分たちの欲しいものが何であるかを知る練習、to know what I love の練習が足りないせいではないかと思った。

自分が何を好きかを知るのはとてもたいへんだ。プロスポーツ選手が自分の身体を思い通りに動かすのと同じくらいにたいへんなことだ。

でも、一定以上の効用、生存に必要という自明な選好を超えた効用は、そこからしか生まれない。自分が何を好きか、を育まない社会では、経済成長は頭打ちになる。

われ唯足るを知る、という言葉がある。それとこれとは微妙に違うような、けれども、読む人によっては同じ意味でもあるような気がする。

2018年4月21日土曜日

経済学的幸福論

幸福をもたらすもののなかには、他の人にも価値のあるものと、自分にしか価値のないものとがある(※)。他の人にも価値のあるものは「交換可能な財」、他の人には価値のないものは「交換不能な財」と呼ぶことにしよう。

交換可能な財とは、お金とか名声とか、メルカリで売れるモノとか、他人に自慢できる交際相手のスペックとかである。交換不能な財とは、他の人はしらんけどあたしこれめっちゃ好きやわとか、ドリブルがうまいとか、晴れてるから公園でごはん食べようとか、職場が家から近くてうれしいなとか、眠いときに寝るのが最高やわとか、そういうのである。

交換可能な財は、誰もが欲しがる。交換不能な財は、他の人はそんなに欲しがらない、というか、自分ほどは欲しがらない、あるいは、他の人にあげたくてもあげられない。交換可能な財は、あなたの手元から離れても価値がある。けれども、交換不能な財は、あなたの手元から離れると価値がなくなる。

交換不能な財をみつけたら、とくに大切にするといい。これが、経済学から引き出される幸福論となる。

根拠は、あるようなないようなものではあるけれど、いくつかの側面から挙げることができる。そして、どの程度大切にすればいいかは、人によって異なる。

もしあなたが社会全体の価値の総量に関心をもっているならば、とくに、交換不能な財を大切にするのがいい。なぜなら、交換可能な財は人にあげてもメルカリで売っても輝きが保たれるが、交換不能な財は自分の手元にあってはじめて輝くものだからである。

もしあなたが社会のことをすこし怖いと思っているならば、とくに、交換不能な財を大切にするのがいい。なぜなら、交換可能な財はいつでも誰かが奪いに来る可能性があるけれども、交換不能な財にはその可能性がないからである。あるいは、奪いに来る人から財を守るための余分なコストが必要なくておトクだからである。

もしあなたがお金をわりと持っているならば、あるいは、いつの日かそういう身になろうとしているならば、とくに、交換不能な財を大切にするのがいい。なぜなら、交換可能な財が多くなると、交換不能な財が自分の中で相対的に希少になるからである。相対的に希少なものはとても欲しくなるというのが経済学の教えである。

もしあなたが他人から敬意を払われたいならば、とくに、交換不能な財を大切にするのがいい。なぜなら、交換可能な財のもたらす効用は、その財を入手すれば得られるが、交換不能な財のもたらす効用は、あなたを経由しないと得られないからである。もし他の人も効用を享受したいなら、その人はあなたのことを尊重せざるを得ない(あなたが花を見て機嫌がいいとして、そのことから他の人が利益を得たいならば、他の人はあなたの機嫌を損ねるわけにはいかない)。交換可能な財をもっていても、それで人から敬意を払われるということは絶無といってよい。もし敬意を払われているように感じるとしたら、お金に払われている敬意を自分への敬意と勘違いしていないかを疑ったほうがいい。むしろ、そういう偽の敬意がたくさんやってきて辟易するという話ならたくさん聞く。

交換可能な財の究極形態がお金である。お金の何が究極かというと、いくらあっても困らないところだ。フェイスブックのザッカーバーグ氏は、先日、米議会で質問に対応している間に株価が上昇して個人資産が2500億円増えたそうだ。お金以外のあらゆるものは、こんなにあるといろいろ困るし、それ以上は欲しくなくなるだろうけれど、お金だけはそうならない。まして2500億円も持っていない多くの人は、いつだってもっとお金が欲しいと思っている。すきあらば人のものを掠め取ってでもほしいと思っている人はたくさんいるし、そうはっきりはいわなくても、他の人が足りなくて苦しんでいるのをみてすらも自分のものは手放せないのが俗人というものだ。

最後に注記するなら、お金ももちろん必要である。効用は交換可能な財と交換不能な財とのバランスで生み出されるからである。そのなかで、現代先進国社会の人においては、どちらかというと、交換不能な財のことを意識していくほうが、おトクが増える場面が多いかも、ぐらいの話である。


※というか、実際には、他の人にとっても価値はあるけれど自分にとってはとくに価値のあるもの(自分有利財)とか、自分にとっても価値はあるけれど他の人にとってはもっと価値のあるもの(自分劣等財)がある。また、交換不能といっても厳密にそうというわけではないし、大多数の人にはほぼ価値がないけども一部マニアにだけは圧倒的な価値があるような場合もあったりして(恋人の取り合いとか)、ややこしいけども、中間的な場合はそれとして適当に処理して読んで欲しい。自然言語というのは中間をうまく短く言うことができないようにできているので、どうしても両極端を示す言いかたになってしまって歯がゆいのだけど、世界はその両極端のブレンドと考えていただければと思う。

※交換可能な不効用/交換不能な不効用、というのもあって、たとえば、他の人がやりたがらないことだとかは交換可能な不効用で、職場の隣の机のおっさんがなんかむかつくとかは交換不能?な不効用である。一般に、交換可能な不効用は、それがもし自分にとってはそこまでキライでないのであれば、むしろ積極的に取りに行くほうがおトクになる。逆に、交換不能な不効用は、甘受していても何もいいことはないので、キライであることに気がついた自分の気持ちを大切にして、その状況から離脱するほうがいい。つまり、不効用の場合でも「交換不能」なものをこそ尊重するという原則は同じである。

2018年3月14日水曜日

数字と数学とおトク

数字に強いように言われることがある。まあ弱いとも思わないけれど、ひとが思うほど強くはないし、それほど興味がなかったりする。計算とか昔からめっちゃ間違う。数字に対してフェティッシュな執着はうすい。(※1)

おれが数字を扱うとき、多くの場合は、しょせん、もののたとえで、100だろうが10だろうが別に適当でいいようなときに快適をおぼえる。これはある種の数学の感覚。数論の大家グロタンディークが57を素数と称したような。たいへん僭越ですみません。

経済のことでもそうで、こういうとなんだけども、おれは一般的にはデータに関心が薄い。株価とか、GDPとか、倍ぐらい違うとちがうなと思うけど、細かい変動はどうでもいい。知らない金持ちの口座の数字が増えようが減ろうがどうでもいいし、GDPの多少の変動よりもおれの幸福にリアルな影響をもたらすものは他にたくさんあるので基本的にどうでもいい(影響がもたらされるほどの変動には興味をもちたいものだとは思う)。

ヨノナカ的には、経済がどうのこうのというと数字に強いと思われる。すくなくとも、数学が好きというと、数字とか計算が好きだと思われる程度に、表層的に。表層的なのがヨノナカだからそういうもので、せめて、自分もあらゆる職業や趣味のことをよく知らなくて、この人は何が好きで何が嫌いかとかを適当に認識していることを自覚するよりほかない。

数字に興味があるのは、もっぱら、具体的な人(おもに俺)の、具体的な数字(おもに金)について。すなわち、具体的な幸せのあり方についてのとき。たとえば携帯電話料金を安くするにはどうすればいいかとか、通販のポイントはどうすれば高還元率でマイルにできるかとか、洗濯洗剤はどれが最高かとか、どのスピーカーをどこでいついくらで買ってどう置くのがいいかとか、そういうのにならたいへん興味がある。だから、おトクに弱い。

実際、経済統計や相場がフェティッシュに好きな人は結構いると思う。自分がそうでないことにときどき違和感があったのだけど、数字と数学の関係と同じと思うと、おさまった。


(※1) 執着があるところにはあって、言語、とくに文法には執着があるように思う、そしてその執着は、外国語習得という実利に対しては、むしろ妨げになっているようにもおもう。

2018年1月26日金曜日

無常を思うのがリベラル(だろうか)

アジア諸国の人への罵詈雑言を言ってた日本の人たちは、それらが日本より経済的に弱い存在でありつづけると思っていた。だから安心して馬鹿にしていた。しょぼい人たちに負けてる自分たちはもっとしょぼい、というふうになるとは思っていなかった。いまでもそうしている人たちは、日本の低迷から基本的に目を背けている。(※1)

何かを馬鹿にしていると、たとえそれが真実であったとしても、何かのはずみで自分がそれに負けたり、まきこまれたりしたときに、弱ってしまう。このアプローチだと、他人を馬鹿にしてはいけない、という倫理を、エゴイスティックに導くことができる。

状況は移り変わるものであるから、いま自分は強い側にいるとしても、いつ弱い側に回るかわからない(※2)。だから社会を弱い側にいつも暖かく接するように作ろう、そうすることで、自分が弱い側に回ったときのリスクをヘッジできる。このアプローチだと、ある種の左翼的な思想(※3)を、エゴイスティックに導くことができる。

こうしたアプローチが成立するためには、栄枯盛衰、という、無常、を、受けいれている必要がある。

となると、無常を知っているかどうかが、リベラルかどうか、なのだろうか。

エドマンド・バークを持ち出すような、古典的な意味での保守の人はむしろ、見えない可能性を畏れるのが自分たちの本性であり、無常を知るのはむしろ我々だ、と考えるだろう。見える部分だけで浅はかな最適化をしようとして失敗するのがリベラルなのだ、と。となると、左右の対立とは違う何かの軸が、そこにはあるのだろうか。

あるいはそもそも、エゴイスティックに導けるかどうか、に、どういう意味があるかという問題なのだろうか。「他人をいじめてはいけないのは、自分がいじめられたら困るからです」というのはすでに狂ってるしだいぶ終わってるとも思う。


※1 もしくは、経済とはちがうところに目を向けようとする。民度とか。でも、経済力を民度なるものにおきかえても、この論の構造はそれほどかわらない。
※2 逆の、弱い側にいてもいつかは強くなれるかもしれない、という可能性について、同じ論理が適用できるかは要一考。
※3 これがリベラルと一致するのかは微妙。


2017年12月22日金曜日

ごはんづくり(正常財としての)

毎日の食事は、貧乏だと自分で作るしかない。すこし豊かになると、外食で手間を省くことができるようになる。もっと豊かになると、自分の食べるものを自分の好きなように手間をかけて作ることが贅沢になる。

農業もそれと同じで、かつては外貨を獲得するための産業だった。あるときから、工業に注力するために農業にはあまり資源を割かずに輸入に頼るほうがいい、となった。

いま、世界は、農業で稼ごうというよりは、食べるものについて安心できるようにするために、農業を自分のところのものにしようとしている。貿易は、食糧という必需のレベルではなく、食べ物という贅沢のレベルで行われようとしている。

そんな中で、日本だけは、農業を必需のレベルでばかり見ようとしている。これが貧乏の結果なのか、原因なのかはわからない。

たとえば自給率を気にするなら、それは必需のためではなく、一周回った贅沢のためであればよいとおもう。

2017年11月1日水曜日

百度 baidu アカウント作成方法 (2017年11月現在)

中国ではGoogleが使えない、ということは、Google Mapsも使えない。
いや、香港SIMやVPNを使えば接続はできるのだけど、
Google Mapsでは地図上の現在位置が数十〜数百メートルずれることがある。
それに、登録されている情報も少ない。
少し中国語ができるなら、百度地図のほうが頼りになる。
地下鉄やバスの時間も完璧だし、店の情報も多い。

ところで、旅行のとき、宿の場所や行きたいところに、
あらかじめ「保存」して☆をつけておくと計画が立てやすい。
百度地図でこれをするには、百度のアカウントが必要になる。

百度のアカウントを取るのは、ちょっと厄介。
2017年6月から中国では「実名登録制」が始まって、
アカウントを取得するにはSMS認証が必要になる。
そして、中国国内の電話番号を持っていない日本人が
日本国内から登録しようとすると、いろいろひっかかる。

2017年11月現在、
最終的には問題なくアカウントを作れるのだけど、
他の多くのサイトで紹介されている方法ではできなくて、
右往左往したので、メモしてみる。

まず、百度アカウントを作るページにアクセスする。

https://passport.baidu.com/v2/?reg&overseas=1

最後の「&overseas=1」がポイント。
トップページから行くとこのページにはたどり着かず、
中国国内専用ページになって、日本の国番号を入れられない。


必要な情報を入力する。
  • 手机号(電話番号)は先頭の 0 を取って入力。012-3456-7890→1234567890
  • 用戸名(アカウント名)は英字14文字以下で入力。
  • 验证码(検証コード)はSMSで送られてくる検証コード(数字6桁)を入力。
  • 密码(パスワード)は6桁〜14桁のパスワードを入力。
※ここでSMSが届かない場合は、端末の海外SMSの受信設定を確認する。

これでアカウント登録完了…なのだけど、なにせ中国のネットのこと、海外からの登録に積極的ではなさそうだし、今後どうなるかわからない。そこで、SMSが受信できなくなったときにもアカウントを復旧できる可能性を高めるべく、密保邮箱(パスワード復旧用メールアドレス)も登録しておく。


ただし、GMailは登録できない。中国め…
Yahoo!メールは大丈夫なので、フリーメールがダメというわけではない模様。

たまにこうして異国のサイトで苦労してみると、
どういうのがガラパゴスなのかわかって勉強になる…ことにする。