ちょっとだけ足を踏み入れたメキシコは感じが良かったし、
何かと使う機会もあるかなと思って。
スペイン語は日本人にとって発音が簡単だし、
関西弁とアクセントの相性が良いっぽくて快適。
頂きをきわめる気はまったくなく、
快適と思えるところまで行って帰ってこようと思っている。
上田博人(1988)「スペイン語の未来形の意味」
スペイン語の未来形は「推量形」と呼ぶのがいいんじゃないかという論文。
上田(1988)の提案する各時制の名称は、
未来形→現在推量形
過去未来形→過去推量形
未来完了形→現在完了推量形
過去未来完了形→過去完了推量形
スペイン語の未来は、日本語の「〜だろう」みたいな意味が主であって、
時間のことは結果としてそれについてくるだけ、という考え方のようだ。
こうすると「過去未来完了」なんていう意味不明な呼び方から解放されるし、
「現在推量」という呼び方は日本語らしくてなんとも親しみやすからむ。
この論文によると、
スペイン語の「未来形」については海外でも諸説あり、
(1) 時制(tense)として解する説
(2) 相(aspect)として解する説
(3) 叙法(mode)として解する説
日本語の助動詞の「た」を、
過去(時制)とみるか、完了(相)とみるか、
みたいな争いがスペイン語文法の世界にもあるらしい。
上田(1988)の提案は (3) と親和性が高いのかなと思う。(違っていたら直します)
未来形を時制でなく、叙法のひとつ「推量法」と解するなら、
- 直説法:客観的に事実と考えていることを表す。「〜である」
- 推量法:主観的に事実と考えていることを表す。「〜だろう」
- 接続法:事実かどうかに言及しないことを表す。「〜かどうかはさておき」
意思疎通において、事実(と思っている)かどうかは重要なことなので、
それらに着目した言い分けがあるのはナイスなかんじがする。
そして、これらのそれぞれに、
「現在」と「過去」と「完了」と「過去完了」がある、
ということになって、たいへんすっきりする。
ただこうなると、古めかしいスペイン語でたまに出てくるという
「接続法未来」「接続法未来完了」には居場所がなくなってしまう。
これらが現代スペイン語で使われなくなった理由として、
個人的にはもっともらしく思える。
けども、文法の体系書を編む人にとっては、
これらの居場所がなくなると都合がわるいかもしれない。
もしかしたら、接続法未来という、もはや死せる活用形のせいで、
生きとし生ける学習者が苦労させられているのかもしれない。
と書いて、日本語の文法のことを思った。
日本人は、平安時代の文法にひもづいた「国文法」を習うが、
外国人は、死せる古文を切り捨てた「日本語文法」を習う。
それによって飛躍的に学習効果が高まっている。
他の言語でも、そういうことがあるのかもしれない。
文法おもしろい。