2013年5月29日水曜日

遊就館

遊就館にいってみた。

建物は美しく、展示は充実しており、
展示する側のモチベーションの高さを感じた。

解説は、どうかと思うところも多かったが、
特殊な状況のなかで、少なからぬ数の人々が、
何を考え、どのような気持ちでいたか、
ということの一面を表現しているとは思った。

どんな愚行のなかでも連帯感は生まれて、
多くの人はその中に生きる。
どんな情勢のなかにも各人の思いがあるし、
どんな死者であっても悼まれねばならない。

ただ、デリケートな問題を扱っている所としては、
他の見方もあることへの遠慮に欠けていると思った。
というか、展示してる側に、
デリケートな問題という認識があるかじたい怪しいと感じた。

2013年5月14日火曜日

豊かな生活

人間にとって殺生が避けられない原罪であるように、20世紀の先進国住民にとって「豊かな」生活とは、環境破壊と搾取のうえにしか成り立ちえない原罪であった。後ろめたくとも、仕方がない。世界はそういうふうにできている。人々の倫理は、そういう開き直りを前提とせざるを得なかったと思う。

それが21世紀に入り、すでに「豊かな」生活は原罪ではなくなっているのではないかと感じている。もし人類が、現時点で持つ情報技術や自然エネルギー技術を最高に活かし、効率よく仲良く公平に行動できれば、地球人類の全員が「豊かな」生活をすることは、すでに可能であったりしないかと夢想する。

もちろんそんなユートピアは当面存在しない。「効率よく仲良く公平に行動する」ことの不可能性を改めて噛みしめることになる。ただ、問題の所在が、持続不可能性すなわち自然の制約から、非効率と不平等すなわち人間の愚かさ自体に変わることは、倫理ないし個人の価値体系に影響を及ぼすものと思う。