2024年7月2日火曜日

小さな財布


MINIMALIGHT の財布を使い始めた。グレーの革。使ってるとちょっと茶色っぽくなるのだろうか。楽しみ。



小さい財布が好きで、いろいろ探して、いくつか使ってきた。カード3〜4枚、お札数枚、コインは最大15枚。鍵は小銭入れに入れるが、玄関はスマートロックを付けたので、ふだんは取り出さない。以前はハトメに細紐で取り付けていた。外出時はこの財布だけ持って出る、といいつつ、最近はついつい携帯電話だけ持って財布を忘れて出てしまう。

前の財布は abrAsus の「小さい財布」で、たしか3年くらい使った。



質感もよく、気に入っているのだけど、自分にとって難点があった。

ひとつは、お札が破れること。「小さい財布」は、領収書とか詰め込みすぎるとお札が下まで入らなくて、お札の上端がスナップに当たって穴が空くことがある。

もうひとつは、カードが落ちること。「小さい財布」は、カードの取り出し口が外側を向いていて覆いがないので、カードが束ごと全部落ちることがある。カードの枚数を減らしたときや、カードを1枚使っている途中とかに起きる。使ってる本人が不注意なだけだけれど、カード免許証まとめて失うのはできれば避けたい。

新しい財布では、この問題が解消されている。abrAsus のに比べると、革自体がやや薄いのがいい。とくに内側になるところが薄くしてある。

微妙なのは、外側にジッパーが付いているところ。引き金具が外側にあるとチャカチャカする。外側はツルッとしてるほうがいい。小銭入れをよく使う人にはよさそうだけど、キャッシュレス化とスマートロックのおかげで、ほとんど使わなくなったので、小銭入れは一応ありますぐらいでいい。

いまの理想は、MINIMALIGHT の形で、小銭入れだけ内側にあるもの。写真の、下向き三角の左側の辺の内側に小銭入れがあるといい。少し厚くなるのは許容。あー作ってみたい。でもこれは作者の方もきっと検討された形だと思うので、何かしらあるんだろうな。


海外旅行用の財布は、JIBのもの。2代目。前のは15年ぐらい保った。残布で作っているとかで、最近は値段が変わっていると思うけれど、以前はとんでもなく安かった。

特別なものではない。L字型でファスナーで止めるタイプで、まんなかに小銭、左と右に2つ折りにしたお札とカードを入れて使う。お札の枚数が多いときは、高額紙幣と低額紙幣を分けて折って手持ちを把握しやすくする。米国なら1,5,10ドルと20,50,100ドルといったように。

ディテールがないのが旅行向きで、たとえばコインロッカーの鍵、入場券など、ふだんとは違う形のものもどんどん入れて、失くしたくないモノへの注意を一極集中することができる。パンパンにすれば量も結構入る。紙幣の枚数が多い国でもそこそこ戦える(ウズベキスタンは無理だった)。そして軽い。18g。財布のジッパー取付部の穴にストラップを通して、ウォレットチェーンをつけている。

小さな財布に執着していたら、財布はどんどん小さくして大丈夫な世の中になってきて、ありがたいことである。

2020年9月19日土曜日

宮本常一、毛利甚八、渋沢敬三

宮本常一『壱岐・対馬紀行』を読了。昭和20年代の対馬と、30年代、40年代では全然ちがっていた。道路ができて、移動が日単位から時間単位になっていた。話もすっかり近代になっていた。宮本常一は離島振興法の成立に携わり、各地で講演会をこなしていた。そして、昔の旅を懐かしんでいた。

この本、あとがきがすごかった。宮本常一の著作に若い頃に出会って心が震えた。古書店で著作集を見つけて9万円をはたいて買った。ずっと本棚に寝かせた末、おもむろに読みはじめた。仕事が落ち着いたあと、満を持して、長い長い旅に出た。旅の初日に民宿の夕飯を食べて「この旅のあいだは、飯がうまいとかまずいとか、決して思うまい」と心に誓った。そして宮本常一の訪れた土地を訪れ、同じように民家に泊まって酒を飲んで話を聞いて、3年かけて足跡をたどった。本編とあとがきが、同じくらいとんでもなかった。あとがきを書いたのは毛利甚八氏。漫画「家栽の人」の原作者。民俗学者ではない毛利氏にとって、この旅はどういうものだったのか、この文章を読むだけではわからなかったが、ただただ、熱い。

宮本常一は渋沢敬三の食客であったという。いそうろう。親近感を覚えてぐぐってみたら、渋沢敬三は今度お札になるらしい渋沢栄一の孫。動物学者になりたかったところ、頭の良さを見こんだ祖父に土下座されて財界人になった。大蔵大臣や日銀総裁や銀行の取締役を歴任するかたわら、民俗学を研究して、アチック・ミューゼアムを開いて、中根千枝や梅棹忠夫、網野善彦も支援していたという。何だこの人は。スケールの大きさにくらくらする。りっぱな民族学博物館ができたのも、さらには昭和の経済成長の地域バランスがよかったのも、こういう人たちの影響があったのかもしれない。

自らを突き動かしているものが何か、説明できないような衝動。えらい人を3人同時に知った。 

2020年9月17日木曜日

物理学の熱、クリアとんこつ

わからん、とか、しらん、とかいうことの、ポジティブな意味をもっと使っていきたい。

朝、物理の本を読了、といっても、後半は、式を眺めて、ほーって言ってただけだけども、まあそれでもおもしろかったし、何かがわかったような気分も味わえた。20世紀前半の物理学の熱も伝わってきた。あの時代の数学や物理学はほんとに生きるか死ぬかというか、人類の知の崩壊の瀬戸際を支えている気持ちでやってたのだろう。

博多いったらどんなラーメンを食べようか調べていて、クリアとんこつラーメンというのが食べたくなって、見たら東京にも店があるというので、労働のあと、髪を切って、〔豚そば 月や 東京〕に来た。広尾の、人のわさわさと多い商業ビルの中にあった。スープはすっきりしてるいっぽうで、麺が完全にとんこつのそれなので、しっかりとんこつラーメンを食べてる感ある。21世紀のとんこつラーメン。バリカタで替え玉をして楽しんだ。 

2020年9月14日月曜日

20200914

労働。ゆるく、たのしく、きげんよく。

内政、のようなことが好きで、パラメーターが増えていったり、ものを取り揃えたりするとそれ自体うれしい感じがある。ただ、あの、光栄のゲームで内政しつくしてクリアするときのような、結局なんのためにしてるのかというむなしさもある。

朝、物理の本を読むのがだいじな精神安定剤。きょうもどうにか意味のあることを少しはしたなと思うための。不確定性原理がしみじみわかったような錯覚に陥る。

夜、宮本常一『壱岐・対馬紀行』を読みはじめる。当時の対馬の交通事情は想像を絶する。船でしか行けない集落が当たり前にあるし、島内の移動に何日もかかっている。著者の誠実さが印象的。人々から丹念に聞き取りをする。中世の古文書をそこかしこで見つけては手書きで写している。当時の対馬の人々の生活は、江戸時代から連続しているように見える。昭和25年時点ではこんなにも近世や中世が近かったのか。それともいまでもよくよく見れば近いのか。 

2020年9月13日日曜日

20200913

きょうは遅く起きて、クロワッサンを食べて、昼はおいしい黒酢酢豚のランチを食べて、夜は鍋にして、それ以外の時間はおおむねGoogleサイトをいじっていた。あとは旅の予定を少々。

Googleサイトで、途中まで迷いなく順調に作っていたのだけど、だんだん操作性の悪さや、PCで表示すると間延びするのが気になってきた。レスポンシブなサイトを簡単に作れて、Webアプリでここまでの完成度になってるのはすごいとおもうのだけど、
それでも厳しい。他の選択肢も検討してみよう。

WebサイトやWebアプリを自由に作れるようになりたい。それにはサービスやネットワークやフロントやデザインの知識が必要。みんな器用にこなしててすごい。

某区のプレミアム商品券があまりに大きな額なので、仕方なく申し込む。

商品券、あんなに無駄だといわれながらはじめたのに、いつしか惰性で癖になっている。商品券を配布するのに商品券と同じくらいの額の費用がかかっていたケースもあるときく。こうして無駄遣いをして無駄な労働を発生させつづけていたことは、後世の怒れる市民のために、経済学者が記録しつづけておかないといけないかなと思うけれど、そういう仕事はつらいだろうな。 

2020年9月12日土曜日

20200911

旅の予定をどうにか立てた。船も満席になっていて随分困ったが、1席だけあいた飛行機の席をおさえることができた。

夕食。念願のハムカツを食べに行った。ごく厚切りで、とんかつのように揚げてある。塩気は普通のハムよりはだいぶ軽い。おいしかったけども、さすがに300gは多かった。

『地球の歩き方 壱岐』をよむ。新羅、刀伊の入寇、そして元寇。日本の中央政府がほとんど経験しなかった外敵からの攻撃を、前線でさんざんに受けてきた土地。言葉の通じない異民族がやってきて、村を略奪して火をつけて食糧を根こそぎ奪って人をさらって帰る。想像を絶する恐怖だっただろう。呆然としただろう。よく全滅せずにすんだものだ。 

今週はどうも疲れた。生活のリズムが悪いのか、あるいは、暑さで夜中に目が覚めるからか。

2020年9月11日金曜日

おいしい浮世絵展

森アーツセンターギャラリーの「おいしい浮世絵展」に行ってきた。展示が練りに練られていて、浮世絵をふだん見なくて味わい方をあまり知らない自分でも、とても楽しめた。2時間かけて観た。

浮世絵では食べ物はいつも脇役で、そこに目を向けるということは、絵をこまかく見ることでもあるし、江戸風俗を踏まえた上で絵を感じることでもある。花見で田楽を焼いていたり、書画会で鮨の桶が置いてあったり、役者が役の中で鰻をさばいていたり、美人がうれしそうに白玉を食べていたりするのを、当時の食の事情を知ったうえで見ると、とても旨そうで、そして、楽しさが伝わってくる。そう思ってみてるうちに、ぱっと見は似たような役者の顔の口元とか目元にあらわされた微妙な表情がわかるようになってくるし、素でかっこええなとかええ女やなとか感じるようになってくる。

当時の料理本や、食べ歩き用のガイドブックの展示もある。江戸のガイドブックはみごとに寿司・蕎麦・鰻だった。十返舎一九の『東海道中膝栗毛』がとんでもないベストセラーになって、江戸に旅行ブームが沸き起こった。各地の宿場町には、桑名の焼きハマグリとか四日市のなが餅とか静岡の安倍川餅とか名物があった。当時の旅行とか基本全部歩くわけだし銀行も電話もないし、いろいろ大変だと思うのだけど、それにしては気楽な話。そういえばこの本、子供のころ簡略版みたいなのを読んで好きだった。『80日間世界一周』も好きだったな。どちらも19世紀か。とはいえ50年も違うとだいぶ違うか。

展示を見ていると、くずし字を読めるようになりたいとか、当時の物価の体系を知りたいとか、いろんな欲求が湧いてくる。卵と砂糖がとても高くて、魚と醤油も結構高くて、貝と豆腐と味噌が安い、というけれど、それぞれいくらくらいだったのだろう(こういうイメージを持つのはどの場所どの時代でもとても難しい)。料理を切り口に社会風俗を知りながら絵を見ていくというのはとてもおもしろい。西洋絵画でもぜひ見てみたいし、なんなら世界中の美術館でやっててほしい。

江戸時代の外食の再現メニューをやってて、ほんとはそれにも行きたかったのだけど、営業時間の問題でかなわなかった。江戸っぽいといえばぽいような鮨を食べて帰った。