2020年9月19日土曜日

宮本常一、毛利甚八、渋沢敬三

宮本常一『壱岐・対馬紀行』を読了。昭和20年代の対馬と、30年代、40年代では全然ちがっていた。道路ができて、移動が日単位から時間単位になっていた。話もすっかり近代になっていた。宮本常一は離島振興法の成立に携わり、各地で講演会をこなしていた。そして、昔の旅を懐かしんでいた。

この本、あとがきがすごかった。宮本常一の著作に若い頃に出会って心が震えた。古書店で著作集を見つけて9万円をはたいて買った。ずっと本棚に寝かせた末、おもむろに読みはじめた。仕事が落ち着いたあと、満を持して、長い長い旅に出た。旅の初日に民宿の夕飯を食べて「この旅のあいだは、飯がうまいとかまずいとか、決して思うまい」と心に誓った。そして宮本常一の訪れた土地を訪れ、同じように民家に泊まって酒を飲んで話を聞いて、3年かけて足跡をたどった。本編とあとがきが、同じくらいとんでもなかった。あとがきを書いたのは毛利甚八氏。漫画「家栽の人」の原作者。民俗学者ではない毛利氏にとって、この旅はどういうものだったのか、この文章を読むだけではわからなかったが、ただただ、熱い。

宮本常一は渋沢敬三の食客であったという。いそうろう。親近感を覚えてぐぐってみたら、渋沢敬三は今度お札になるらしい渋沢栄一の孫。動物学者になりたかったところ、頭の良さを見こんだ祖父に土下座されて財界人になった。大蔵大臣や日銀総裁や銀行の取締役を歴任するかたわら、民俗学を研究して、アチック・ミューゼアムを開いて、中根千枝や梅棹忠夫、網野善彦も支援していたという。何だこの人は。スケールの大きさにくらくらする。りっぱな民族学博物館ができたのも、さらには昭和の経済成長の地域バランスがよかったのも、こういう人たちの影響があったのかもしれない。

自らを突き動かしているものが何か、説明できないような衝動。えらい人を3人同時に知った。 

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