宮本常一『壱岐・対馬紀行』を読了。昭和20年代の対馬と、30年代、40年代では全然ちがっていた。道路ができて、移動が日単位から時間単位になっていた。話もすっかり近代になっていた。宮本常一は離島振興法の成立に携わり、各地で講演会をこなしていた。そして、昔の旅を懐かしんでいた。
2020年9月19日土曜日
宮本常一、毛利甚八、渋沢敬三
2020年9月17日木曜日
物理学の熱、クリアとんこつ
わからん、とか、しらん、とかいうことの、ポジティブな意味をもっと使っていきたい。
2020年9月14日月曜日
20200914
労働。ゆるく、たのしく、きげんよく。
2020年9月13日日曜日
20200913
きょうは遅く起きて、クロワッサンを食べて、昼はおいしい黒酢酢豚のランチを食べて、夜は鍋にして、それ以外の時間はおおむねGoogleサイトをいじっていた。あとは旅の予定を少々。
2020年9月12日土曜日
20200911
旅の予定をどうにか立てた。船も満席になっていて随分困ったが、1席だけあいた飛行機の席をおさえることができた。
今週はどうも疲れた。生活のリズムが悪いのか、あるいは、暑さで夜中に目が覚めるからか。
2020年9月11日金曜日
おいしい浮世絵展
森アーツセンターギャラリーの「おいしい浮世絵展」に行ってきた。展示が練りに練られていて、浮世絵をふだん見なくて味わい方をあまり知らない自分でも、とても楽しめた。2時間かけて観た。
2020年9月10日木曜日
20200909
旅行をしようと思うと、にわかに気忙しくなる。時間がほしい。
数日間の動き方、食べるもの、それでどういう心持ちになりそうか、何度も繰り返しシミュレーションしては修正する。計画を立てるのが苦手とかきらいとかいう人がいるのもよくよくわかる。自分は本来はそこまで計画的な人間ではないとおもうのだけれど、旅行のときはしておいたほうがいいのを知ってるので、している。
2020年9月9日水曜日
クーポン的なもの
こんどは対馬に行こうかな、と思って、予定を考えていた。2020年9月現在、対馬行っ得!クーポンというのがあって、かなりの額が配られている。ちょっとおまけとかでなく、旅行するかどうかを左右するほどの額。しかし、配布ルートや要件が曖昧で、自分の調べた範囲だと、航空便をつかう場合には旅行会社を通して宿泊施設まで込みのプランを申し込まないとクーポンが使えない、したがって宿泊代金にはクーポンが使えない。クーポンの用途は、その場で消えるもの、すなわち交通手段と宿泊代金と飲食代とアクティビティに限定されている。それでこの金額を使い切るにはどうすればいいのだろう。
2020年9月8日火曜日
20200907
朝、身体がしびれたように重くてベッドから出るのが難しかった。きのうの岩盤浴の効果なのか副作用なのか関係ないのか。
労働。きょうはめずらしくいい仕事をした感。ルータを交換したら、インターネットがほとんどつながらないばかりか室内のLANの調子まで悪くなって悲惨だった。
昼はステーク・フリット。それにヴィシソワーズとエスプレッソがつく週替わりランチ。フランス人の国民食。大好き。もう一回行きたい。店の人たちが非常に親切だった。
2020年9月6日日曜日
20200906
昨日買ってきた空也の最中がおいしい。バターを挟むとなお美味しいことを発見し、こういうのにハマりはじめると太りがちなのだと思い、インタビュー記事で拝見した空也の跡継ぎ氏を想った。
20200905
好きな本を好きなように読みちらして、おもむろに銀座を散歩して服を見た。いい日。
2020年9月5日土曜日
20200904
労働の後、ベッドに転がったら、最近感じたことのないような眠気が全身から出てきて、気がついたら2時間ほど眠っていた。
2020年9月4日金曜日
20200903
朝はクロワッサン。クロワッサンはフランスでは少しだけ贅沢なもので、バゲット1本とクロワッサン1個が同じ値段だと聞いたことがある。クロワッサンを美味しく食べられるということは、あるていど豊かでヒマだということであって、つまり、幸せは美味しいクロワッサンを食べた個数で計れるのではないかと考えるようになって、この15年ぐらいクロワッサンは特別な存在である。
2020年9月2日水曜日
20200902
夜中目が覚めて、朝少々眠かった。歯の治療、本人は麻酔をかけてて気づいてないが、身体はストレスに感じていて、そのせいなのかなと思った。
2020年9月1日火曜日
20200901
朝、トチク先生の『なっとくする量子力学』を読む。2日目。なるほど名著。この世代のこういう学者の文章は洒脱でかっこいい。波であり粒子である、確率論的に存在する、というのがもうすこしで体に入ってわかりそうな手応えがある。こういう感覚は量子論を学び始めた誰もが持つものなのだろう。
2020年3月6日金曜日
旅 東アフリカ 03
Day 3 (2019/12/27):サファリ2日目
5時半に起床。ここまでの睡眠不足を取り戻した。外はまだ真っ暗。レストラン棟で、昨日注文しておいた朝食の紙袋を受け取る。バナナマフィン、ソーセージ、フルーツ。それに熱いコーヒー。ドライバー氏もやってきて、スタッフにちょっかいを出している。
何でも一番が好きなドライバー氏。一番に出発して、渡し船の乗り場に一番乗りして、7時の出発を待つ。I am the first, I am strong man. が口癖。おれは strong だから子どもは6人いるのだ、こんど妻を増員して、あと4人は作るのだ、と。
渡し船で北側へ。中国の建設会社が橋を作っている。やつらは我々の国立公園を破壊している、とドライバー氏。橋があればほんの少しは便利だけれど、渡し船で事は足りているように見える。
車の屋根を開けて、サファリに出発。日本の中古のワゴン車を独自改造したものだが、高い視点から外が見られるし、日差しも遮れるし、揺れる車内でずっと立ってるのもしんどいので好きなときに休めるし、よくできた乗り物。朝の景色だけですでに感動している。
いちばん多いのは、鹿のたぐい。ウガンダの「国獣」ウガンダ・コープ。それと、なかなか区別がつかないアンテロープ。あと、とても小さな鹿。
ひとたびキリンが野原にいるのを見ると、あれがどうやって一日中あんな狭い檻の中で暮らせるものかと想像がつかなくなる。一週間ぐらい家にひきこもったあと、おもむろに外に出て、美術館とか、だだっぴろい公共施設なんかに疲れて椅子に座って、そこに自分のいた部屋の大きさを想い描くと、どうやって一日中あんな狭い場所で暮らしていたのかと、いつも飽きもせず不思議に思う。それと同じように。でもそのあと部屋に帰って、結局はもとの狭い空間に身を収める。キリンもそうなのかもしれない。
さて、草食動物に比べて、肉食動物は圧倒的に少ない。見通しのいい平原で、身体の隠しようもない大きな草食動物がいたら、すぐに食い尽くされていなくなるのではないかと思っていたが、どうもその心配はなさそうだった。
何もないところで、ドライバー氏が目を凝らしはじめた。何を探しているのかすら、さっぱりわからない。
お前はなんという bad eye だと罵られながら、双眼鏡を借りて木の枝を一本ずつたどると、ヒョウ柄の猫が木の又で寝てるのをみつけた。あれか。。
ヒョウを見つけたら、写真を撮る。ヒョウの写真ならもっといいのがネットにいくらでもあるのに、それでも撮る。昔だったらライフルで撃ったわけで、それが男のロマンとされていたわけだが、今となってはそんなことをしても迷惑でしかない。写真だけでみんな満足するようになってよかった。ヘルシーでエコな遊びになってよかった。ポケモンを探すのと同じような遊び。
満足してロッジに帰る。昼食。きのうガイド氏が食べていたチャパティがおいしそうだったので、チャパティのラップサンドにしてみたら正解。シェフがインド系なのだろうか、あるいはウガンダではチャパティをそれだけ良く食べるのか。
部屋で少し休んで、午後はボートサファリ。おもしろいガイドさんとナイル河をゆく。カバがたくさんいる。たくさんいすぎて珍しくなさすぎて、あまり写真をとってかった…。カバはとても危険な動物で、アフリカで最も人を殺す動物は蚊で、そのつぎはカバなのだという。陸上で暴れまわっているところを見てみたかった。
滝に到着。ここで折り返す。あらかじめ申し込んで15ドル払っておけば、ここから滝のてっぺんまで1時間ほどハイキングをして、そこにドライバーに迎えに来てもらうように手配できたようだ。滝を見に行く往復が省けて効率的だろう。帰りもいろいろ動物がいるので飽きはしなかったけれど、まあ同じ景色なので。
17時ごろに船着き場に到着して、ロッジに戻る。ほっとする。夕食と明日の朝食を予約。ドライバー氏と行程を相談。朝ゆっくりめに起きてゆったり朝食してそのままカンパラに帰ろうというドライバー氏の提案だったのだけど、遠くから来たし、もうちょっと頑張ってみたい、とお願いして、明日も早朝からサファリに行くことになった。
夕食は川でとれるナイルパーチのフィッシュアンドチップス。さすが英国文化圏、おいしい。ナイル川では昔からティラピアやナイルパーチの養殖が行われている。Krestはアフリカ特有のビターレモンのトニックのようなソーダ、気に入った。デザートにはレモンケーキ。
今日も早く寝る。おすだけベープに斃れたホタルが、床の上で光っている。気温にも虫にも悩まされず快適。
旅 東アフリカ 02
Day 2 (2019/12/26):サファリ1日目
6時起床。外は大雨で真っ暗。びちゃびちゃの中庭で、律儀に朝食が用意されている。料理が濡れないように、盛り付けるときだけスタッフが蓋を開けてくれる。丁寧だけど、ここまでするなら部屋の中にすればいいのにと思う。アフリカには、妙に律儀なところがある。
大雨だし、国立公園に早く着いても今日は滝を見るだけだし、と思ってゆっくり出ることにして、ドライバーの迎えは8時に頼んでいた。ところがドライバーは7時半には到着していて、8時過ぎに出ていくと、遅い!という。
その時点ではわからなかったのだが、もしもっと早くに出ていたら、1日目の夕方に1回目のゲームサファリに行けたそうだ。そうすると、2日目のボートサファリを片道だけにして、滝までハイキングして、そのまま滝を見て、3日目は朝ちょっとゆっくりして早く帰ってくる、というプランが可能だったようだ。
いま思うと、このプランは合理的で、移動距離が少ないし、朝だけでなく夕方のサファリが楽しめる。1日目・2日目のサファリがうまくいかなければ3日目にさらに追加することもできる。もし同じようにカンパラからマーチソン国立公園2泊3日ルートを試みる人があれば、早起きしてこのプランに挑戦してみてほしい。
大雨の中を意外にスムーズに車は走る。道はところどころ川、どころか、滝のようになっている。
ロードサイドで、ウガンダ旅行者に人気の牛肉の串焼き。2,000シリング。たしかに、おいしい。中国の羊肉串のようにスパイスを効かせるのではなく、ほとんど塩だけというような素朴な味で、肉は見た目ほど固くはない。
ツーリスト向けのレストランで昼食。ウガンダっぽいものを食べてみようと、ヤギのシチュー。主食はフライドポテトとポショを注文。24,000シリング。これも昨日と同じような優しい味。ヤギ肉には心配したクセはまったくない。肉は食べにくいので、ダシガラと割り切ることにした。
マシンディを出て、ほどなく、舗装のない赤土の道に入る。このあたりは電線があるけど、これはフェイクで、電気は来てないのだとドライバー氏。水道もなくて、ときどき井戸があって、そこで組んだ水をポリタンクにいれて自転車に乗せて、あるいは頭に乗せて運んでいる。人々の顔は明るい。
国立公園の入り口に到着。入場料の80ドルを払う。ドライバー氏はしょっちゅう来ているそうで国立公園のスタッフと仲が良い。今回はドライバー氏がガイドも兼ねるとのこと。
ほどなく動物登場。バブーン(baboon)と呼ばれるヒヒ。
基本料金の場合はテントになるが、追加料金を払ってロッジにしてみた。思ったよりおしゃれで快適。ウガンダの国立公園はマラリアのリスクが高い地域。ドアに窓に部屋の四方に、結界を張るようにおすだけベープを吹きつけた。シャワーは水だが、日があるうちに浴びたのであまり気にならなかった。
夕食。クリスマスのスペシャルメニューのローストチキン。それに大量のマッシュポテト。おいしい。ドライバー氏はチャパティだけ焼いてもらって食べていた。食後は焚き火とホタルを眺めてコーヒー。サバイバル生活と思っていたが、ほとんど不便を感じなくて、むしろ快適。ヨーロッパから家族で来ている人が多い。
2020年2月13日木曜日
旅 東アフリカ 01
とはいえ、やっぱり情報が少ない。2020年現在、日本語の最新のガイドブックは4年前のものだ。出発前にフォートラベルも個人のブログも、世界一周旅行者たちのブログも、何度も読んだ。旅先で会う日本人たちもみんなそうで、全員が全ブログを全部読んでるのではないかと思うほどだった。
行くとなると相当しょうもないことでも役に立つもので、たとえば「この場所はくつろげそうかどうか」がわかるだけで、あそこにいったらあのくらいくつろげるんだな、みたいな心構えができて、それだけでも旅が少し快適になったりする。
だから今回は、とりとめなく、旅のことをただただ書いてみようと思う。もし何かが誰かの役に立つことがあればうれしい。
Day 1 (2019/12/25): 東京→アジスアベバ→カンパラ
クリスマスイブの夜に、エチオピア航空で成田を出発。ゲートで搭乗前に名前を呼ばれる。予期せぬアップグレードでビジネスクラスに。席はフルフラットではなくライフラット、このタイプの席は初めて。オープンなので、前に乗ったエアカナダのようなおこもり感はなく、横になれる深夜バスの座席。とはいえ、ありがたい。修行の功徳か。
食事。東京を出たときと、
ソウルを出たときと、
同じボリュームの同じようなメニューの機内食が2回出る。2回めは夜中2時に…。サーモンはとても美味しい。元宗主国のイタリアの影響か、ときどき奥の深い美味しさがある。(と、このときは思っていたけれど、帰路のエコノミーの食事を経た今となっては褒めすぎと感じる。)
隣は、航空マニアのケニア人氏。完璧すぎる日本語を話し、ふるさと納税では何を頼むのがいいですかね~とか日本になじみすぎている。おもしろいけど身体に比例して声が大きく、周りの人からあの人うるさいから声を小さくさせてくれといわれて板挟みになって恐縮する。
朝食はパンケーキにしてみた。
ビジネスクラスの常で、あっという間にアジスアベバ到着。基本的人権のある人間が、長時間乗る飛行機としては、このくらいが標準であってほしいなどと思う。いつものエコノミークラスに戻ると、住めば都、と思うのだけども。
ターミナルに横付けしてるのに、なぜかボーディングブリッジは伸ばさない。この便の常連であるケニア人氏いわく、エチオピア航空はどんなに空いていても必ずバス移動で、意地でもブリッジを使わないのだとか。お客からすると圧倒的にブリッジが楽なのだけど…。
乗継時間は1時間。ふつうにターミナルを経由しても間に合いそうだが、バスに乗せられて次の飛行機へ直接移動。ナイロビ、モンバサ、ウィントフックなど、アフリカのいろんなところへ行く人がいる。隣の席に乗り合わせたご婦人は、日本からのツアーでコートジボワールのアビジャンへ行かれるとか。エチオピア航空は日本や韓国からアフリカへの数少ない直行便で、南・東・西・北のどのアフリカに行くにも最適ルートのひとつ。アジスアベバは見事にハブとして機能している。
次の飛行機に乗り込む。身体を伸ばす間もトイレに行く間もないのはちょっとつらい。日本発の便を出て、現地発の便に乗り継ぐと、完全にアウェイになる。とくにここはアフリカなので、周りの人がみんなアフリカ人になって、海外に来ているのだ、気を引き締めなければ、と思う。
2時間半ほどのフライトで、エンテベ空港に到着。eVisaを申請してあるので入国審査は他の国と同じ。殺風景な空港で、WiFiも飛んでいない。SIMを売っている売店には人がいない。ATMは使える。タクシーは、はじめ20万だか15万だかいわれたが、相場とされている10万シリングを言ってみたらあっさりとOKになった。旅の両替はATM派。ATMで使うのは、その道で有名なセディナカード。現地ATM手数料はちゃんと無料だった。
ついでにネットは現地SIM派。今回はeSIMに初挑戦。あの小さなnanoSIMをなくさないかと怯えながら抜き差ししないでいいので便利。eSIMのアクティベートには、スマートフォンのカメラでQRコードを読み取る必要がある、つまり、使いたいスマートフォン以外のものにQRコードをダウンロードしておく必要がある。端末複数台持ちが前提というのはハードル高い気がするけど、もう世界はそういうものなのだろうか。自分の場合はMacBookをもっていくので、そちらにAirDropでスクリーンショットをコピーして、無事にアクティベートできた。まあまあつながるが、ときどき途切れる。SIMのせいなのかはわからない。ウガンダの場合、電気もときどき途切れるようなので、ネットが途切れるのも不思議はない。eSIMはどこのキャリアがどこの国に対応しているか探すのが大変なので、検索サイトesimdbが便利。ウガンダではAiraloを使った。
タクシーの運ちゃん、市内についてから結構遠かったからもう数万シリングほしいとか言ってる気がしたけれど笑ってスルー。〔シャングリ・ラ〕に到着。シャングリ・ラに3000円で泊まれて幸福、といいたいとこだがおそらく名前だけで関係はないホテルだろう。丘の上にあって、思ったよりもアクセスは良くない。どこにいくにもボダボダに乗らないといけない。夜は人通りがないのでちょっと歩けない。ただまあ、車なりバイクなりに乗ればすむことではある。この街ではどこに泊まるのが便利なのか、結局よくわからなかった。
部屋は古いけれど、手入れされた味があって、大きなバスタブもついていた。このホテルは宿泊客はランドリー無料という太っ腹なサービスがあって、試してみたかったが、朝に出して夕方に上がるというスケジュールに合わなかった。
少し部屋で休んだあと、市内探索へ。緊張して歩き出したが、大丈夫そうだ。
オールド・タクシーパークと、ナカセーロ市場へ。カンパラのダウンタウンのこのあたりはあまりがらの良くない所とされていて、人が多くてガサガサしている感じではあるけれど、凶悪だったり殺風景だったりではなかった。どこにいっても、とにかく目立つ。ハウアーユー、チャイナ!と声をかけられる。ほっとけばいいのにノー・チャイナ!と笑顔で返すのが旅の最後まで挨拶代わりになっていた。
現地で働いていた友人に、ウガンダのパイナップルはそれはもう美味しいものだと聞いていた。ナカセロ市場でパイナップルを売っていた。気がついたら買っていた。ウガンダで初めての買い物。大きなお札をよくわからないまま出して、適当にお釣りをもらう。食べてみると、なるほど甘い、決して酸っぱくないわけではないけれども口が痛くなるようなことはなくてひたすらジューシーで、香り高い。ウガンダのパイナップルには芯という概念は無いので、スライスするとドーナツ型ではなく円盤型になる。
おいしいパイナップルといえば、台北でごはんをごちそうしてくれた紳士を思い出す。台湾の仕事をするうちに、台湾が好きになって移住したそうだ。紳士いわく、台湾の生活で何がいいかって、フルーツが美味しいことですよ、マンゴーもライチもいいけれど、私はパイナップルですね、日本で食べるのとは全く別物、あの季節になってきたときの、芯まで甘いのがたまらない、しかも信じられないほど安い、夜に屋台で売ってるのをまるごと買って、冷蔵庫で冷やしておいて、毎朝食べるんです、と。その話を聞いてから、自分の中でパイナップルは、外国にいて自由であることの喜びと結びついている。
ナカセロ市場では、地べたに物を広げて売っている。日本でも卸売市場では地べただし特に珍しいことでもないのかもしれないけれど、町中の駐車場みたいなところなので若干新鮮ではある。歩いているととにかく声をかけられる。声をかけられる写真は快く撮らせてもらえる。
ウガンダ名物の食用バナナ、マトケ。
ひとしきり歩いたあと、おもむろにボダボダ(バイクタクシー)に声をかけて乗ってみた。後部座席用のヘルメットはないのかと言うと運転手自身のものをかぶらせてくれた。
3000シル(90円)でウガンダ博物館へ。メリークリスマス!と迎えてくれた。先史時代から現在までのウガンダの歴史、生活文化の展示。展示はよくまとまっていて見やすい。客観的に陳列するというよりはテーマを伝えようとする、英米系の美術館らしいプレゼンテーション志向。
特設展でイディ・アミンの展示をしていた。ボクシングで東アフリカのヘビー級チャンピオンという肩書を持つ、ウガンダの元大統領。嗜虐的な大量殺戮で悪名高い、アフリカの独裁者の代名詞的な存在。その名は極東に伝わると、響きがかわいいということで、岡村孝子のユニット名「あみん」となった。
ひと通り見て帰りがけ、係員のおねいさんと立ち話。メリークリスマス、ハウアーユー?と挨拶したら、何がメリーなものか、世間はホリデーだっていうのに私はこんなところで労働で、子供の相手ばっかりさせられて、まったくロクでもないクリスマスだわ、と長い返事がかえってきた。裏に伝統的家屋の展示があるときいたけど、というと、ヒマだから連れて行ってあげる、とのことで案内してくれた。こんもりとした草作りの家。入口が狭くて中は暗い。そのあと色々なところで、この様式の家を見ることになる。東アフリカの原風景か。
足を伸ばして、マケレレ大学にいってみた。ウガンダで一番の名門で、東アフリカで最も歴史のある大学のひとつ。植民地時代は、ここにケニアやタンザニアから学生が集まっていたという。この場所に、旧ソ連のようなコスモポリタンな雰囲気というか、国境を超えたエリート層の連帯みたいなものがあったことを想像してみる。学内は普通にきれいだった。ハシビロコウだかハゲコウだか、歩いている状態で1メートル以上もあるバカみたいに大きな鳥がいた。木の枝がおれないのかと心配になるほどたくさんいて、東京のカラスのように傍若無人にごみをあさったり大声で鳴いたりしている。しゅっとしたスーツを着て歩く男がいた。世界で一番スーツが似合うのは黒人ではないかと思った。
ボダボダでアカシア・モールへ。市内中心部ではいちばんのショッピングモールだろうか。周りには人が全然いないのにここだけは新宿駅構内ぐらい人で溢れていて、歩くのにも苦労するほど。今どきのアフリカの都会らしい何かを感じられるかとあらぬ期待をしていたけれど、物販にしても飲食にしても、とくにどうというものは見あたらなかった。人が多くてスーパーに入る気もしない。
疲れた。カプチーノ(300円)を注文してとにかく座る。ケニアに本店のあるフランス風のカフェ。お腹も空いたけれど、あとでアフリカらしいものをちゃんと食べたいと思い、デニッシュだけにしておく。
信じられないほどの大雨が降ってきた。シャワーではなく、それこそバケツを引っくり返したような雨。止むまでは移動できそうにない。肌寒いカフェで過ごす。
その間、明日のサファリツアーの調整をする。ウガンダでバックパッカー向けのサファリツアーを開催しているレッドチリ社に申し込んでいたが、直前まで参加者が集まらず、もともと他にもう1人いて2人だったのが、前日になって結局キャンセルされて1人になって、ツアーは中止に。2日後にあるからそっちに参加してくれと言われたが、短い日程の旅でそこまで融通は効かない。あーサファリいけないかー、いくとしたら大枚はたいて個人で車を手配して大名サファリ、それを前日夕方の今から手配できるとは思えない。
憂鬱になっていたら、レッドチリから返事。行きたいなら車を手配できると。でもお高いんでしょう?と見積をたのんでみたら、思ったよりは安かった。少しおまけもしてくれて、ツアー料金の2倍弱。部屋はテントではなくロッジ、車はサファリ用の車両を手配してくれるという。この天井の開くのに乗ってみたかったのだ。OK!。
予定が決まって、ほっとした。雨がやんで、宿に帰る。このモールのあるアカシア通りというのがメインストリートのひとつとおもっていたが、実際のところはレストランがポツポツ建っているだけの道。道沿いのレストランは「ラウンジ」とかいてあって、バーやサウナもいっしょになっているスタイルで、どうもひとりでは入りにくい。宿のレストランは中華料理で、それもちょっと。トリップ・アドバイザーで店を検索して、ボダボダを飛ばしていってみたけれど、クリスマスで休み。あーあ、食難民。
仕方がないので、アカシア・モールにもう一度戻って、フードコートのアフリカ料理屋で食事(写真は照明ですごい色に…)。チキンのシチュー。主食はライスと、マトケ(食用バナナ)を茹でて潰したもの。ウガンダは主食の種類が多く、何種類か盛り合わせて食べるのも特徴だとか。チキンのシチューはスパイス控えめで野菜の甘さのある優しい味だった。値段は24,000シリング(700円)。現地の物価からすると、とっても高いけれど、フードコートは満員だった。
部屋に戻って、翌朝に備えて就寝。