2020年9月19日土曜日

宮本常一、毛利甚八、渋沢敬三

宮本常一『壱岐・対馬紀行』を読了。昭和20年代の対馬と、30年代、40年代では全然ちがっていた。道路ができて、移動が日単位から時間単位になっていた。話もすっかり近代になっていた。宮本常一は離島振興法の成立に携わり、各地で講演会をこなしていた。そして、昔の旅を懐かしんでいた。

この本、あとがきがすごかった。宮本常一の著作に若い頃に出会って心が震えた。古書店で著作集を見つけて9万円をはたいて買った。ずっと本棚に寝かせた末、おもむろに読みはじめた。仕事が落ち着いたあと、満を持して、長い長い旅に出た。旅の初日に民宿の夕飯を食べて「この旅のあいだは、飯がうまいとかまずいとか、決して思うまい」と心に誓った。そして宮本常一の訪れた土地を訪れ、同じように民家に泊まって酒を飲んで話を聞いて、3年かけて足跡をたどった。本編とあとがきが、同じくらいとんでもなかった。あとがきを書いたのは毛利甚八氏。漫画「家栽の人」の原作者。民俗学者ではない毛利氏にとって、この旅はどういうものだったのか、この文章を読むだけではわからなかったが、ただただ、熱い。

宮本常一は渋沢敬三の食客であったという。いそうろう。親近感を覚えてぐぐってみたら、渋沢敬三は今度お札になるらしい渋沢栄一の孫。動物学者になりたかったところ、頭の良さを見こんだ祖父に土下座されて財界人になった。大蔵大臣や日銀総裁や銀行の取締役を歴任するかたわら、民俗学を研究して、アチック・ミューゼアムを開いて、中根千枝や梅棹忠夫、網野善彦も支援していたという。何だこの人は。スケールの大きさにくらくらする。りっぱな民族学博物館ができたのも、さらには昭和の経済成長の地域バランスがよかったのも、こういう人たちの影響があったのかもしれない。

自らを突き動かしているものが何か、説明できないような衝動。えらい人を3人同時に知った。 

2020年9月17日木曜日

物理学の熱、クリアとんこつ

わからん、とか、しらん、とかいうことの、ポジティブな意味をもっと使っていきたい。

朝、物理の本を読了、といっても、後半は、式を眺めて、ほーって言ってただけだけども、まあそれでもおもしろかったし、何かがわかったような気分も味わえた。20世紀前半の物理学の熱も伝わってきた。あの時代の数学や物理学はほんとに生きるか死ぬかというか、人類の知の崩壊の瀬戸際を支えている気持ちでやってたのだろう。

博多いったらどんなラーメンを食べようか調べていて、クリアとんこつラーメンというのが食べたくなって、見たら東京にも店があるというので、労働のあと、髪を切って、〔豚そば 月や 東京〕に来た。広尾の、人のわさわさと多い商業ビルの中にあった。スープはすっきりしてるいっぽうで、麺が完全にとんこつのそれなので、しっかりとんこつラーメンを食べてる感ある。21世紀のとんこつラーメン。バリカタで替え玉をして楽しんだ。 

2020年9月14日月曜日

20200914

労働。ゆるく、たのしく、きげんよく。

内政、のようなことが好きで、パラメーターが増えていったり、ものを取り揃えたりするとそれ自体うれしい感じがある。ただ、あの、光栄のゲームで内政しつくしてクリアするときのような、結局なんのためにしてるのかというむなしさもある。

朝、物理の本を読むのがだいじな精神安定剤。きょうもどうにか意味のあることを少しはしたなと思うための。不確定性原理がしみじみわかったような錯覚に陥る。

夜、宮本常一『壱岐・対馬紀行』を読みはじめる。当時の対馬の交通事情は想像を絶する。船でしか行けない集落が当たり前にあるし、島内の移動に何日もかかっている。著者の誠実さが印象的。人々から丹念に聞き取りをする。中世の古文書をそこかしこで見つけては手書きで写している。当時の対馬の人々の生活は、江戸時代から連続しているように見える。昭和25年時点ではこんなにも近世や中世が近かったのか。それともいまでもよくよく見れば近いのか。 

2020年9月13日日曜日

20200913

きょうは遅く起きて、クロワッサンを食べて、昼はおいしい黒酢酢豚のランチを食べて、夜は鍋にして、それ以外の時間はおおむねGoogleサイトをいじっていた。あとは旅の予定を少々。

Googleサイトで、途中まで迷いなく順調に作っていたのだけど、だんだん操作性の悪さや、PCで表示すると間延びするのが気になってきた。レスポンシブなサイトを簡単に作れて、Webアプリでここまでの完成度になってるのはすごいとおもうのだけど、
それでも厳しい。他の選択肢も検討してみよう。

WebサイトやWebアプリを自由に作れるようになりたい。それにはサービスやネットワークやフロントやデザインの知識が必要。みんな器用にこなしててすごい。

某区のプレミアム商品券があまりに大きな額なので、仕方なく申し込む。

商品券、あんなに無駄だといわれながらはじめたのに、いつしか惰性で癖になっている。商品券を配布するのに商品券と同じくらいの額の費用がかかっていたケースもあるときく。こうして無駄遣いをして無駄な労働を発生させつづけていたことは、後世の怒れる市民のために、経済学者が記録しつづけておかないといけないかなと思うけれど、そういう仕事はつらいだろうな。 

2020年9月12日土曜日

20200911

旅の予定をどうにか立てた。船も満席になっていて随分困ったが、1席だけあいた飛行機の席をおさえることができた。

夕食。念願のハムカツを食べに行った。ごく厚切りで、とんかつのように揚げてある。塩気は普通のハムよりはだいぶ軽い。おいしかったけども、さすがに300gは多かった。

『地球の歩き方 壱岐』をよむ。新羅、刀伊の入寇、そして元寇。日本の中央政府がほとんど経験しなかった外敵からの攻撃を、前線でさんざんに受けてきた土地。言葉の通じない異民族がやってきて、村を略奪して火をつけて食糧を根こそぎ奪って人をさらって帰る。想像を絶する恐怖だっただろう。呆然としただろう。よく全滅せずにすんだものだ。 

今週はどうも疲れた。生活のリズムが悪いのか、あるいは、暑さで夜中に目が覚めるからか。

2020年9月11日金曜日

おいしい浮世絵展

森アーツセンターギャラリーの「おいしい浮世絵展」に行ってきた。展示が練りに練られていて、浮世絵をふだん見なくて味わい方をあまり知らない自分でも、とても楽しめた。2時間かけて観た。

浮世絵では食べ物はいつも脇役で、そこに目を向けるということは、絵をこまかく見ることでもあるし、江戸風俗を踏まえた上で絵を感じることでもある。花見で田楽を焼いていたり、書画会で鮨の桶が置いてあったり、役者が役の中で鰻をさばいていたり、美人がうれしそうに白玉を食べていたりするのを、当時の食の事情を知ったうえで見ると、とても旨そうで、そして、楽しさが伝わってくる。そう思ってみてるうちに、ぱっと見は似たような役者の顔の口元とか目元にあらわされた微妙な表情がわかるようになってくるし、素でかっこええなとかええ女やなとか感じるようになってくる。

当時の料理本や、食べ歩き用のガイドブックの展示もある。江戸のガイドブックはみごとに寿司・蕎麦・鰻だった。十返舎一九の『東海道中膝栗毛』がとんでもないベストセラーになって、江戸に旅行ブームが沸き起こった。各地の宿場町には、桑名の焼きハマグリとか四日市のなが餅とか静岡の安倍川餅とか名物があった。当時の旅行とか基本全部歩くわけだし銀行も電話もないし、いろいろ大変だと思うのだけど、それにしては気楽な話。そういえばこの本、子供のころ簡略版みたいなのを読んで好きだった。『80日間世界一周』も好きだったな。どちらも19世紀か。とはいえ50年も違うとだいぶ違うか。

展示を見ていると、くずし字を読めるようになりたいとか、当時の物価の体系を知りたいとか、いろんな欲求が湧いてくる。卵と砂糖がとても高くて、魚と醤油も結構高くて、貝と豆腐と味噌が安い、というけれど、それぞれいくらくらいだったのだろう(こういうイメージを持つのはどの場所どの時代でもとても難しい)。料理を切り口に社会風俗を知りながら絵を見ていくというのはとてもおもしろい。西洋絵画でもぜひ見てみたいし、なんなら世界中の美術館でやっててほしい。

江戸時代の外食の再現メニューをやってて、ほんとはそれにも行きたかったのだけど、営業時間の問題でかなわなかった。江戸っぽいといえばぽいような鮨を食べて帰った。

2020年9月10日木曜日

20200909

旅行をしようと思うと、にわかに気忙しくなる。時間がほしい。

数日間の動き方、食べるもの、それでどういう心持ちになりそうか、何度も繰り返しシミュレーションしては修正する。計画を立てるのが苦手とかきらいとかいう人がいるのもよくよくわかる。自分は本来はそこまで計画的な人間ではないとおもうのだけれど、旅行のときはしておいたほうがいいのを知ってるので、している。

朝にクレープ。ピカールの冷凍の。軽く甘い生地で、ハムとレタスとか、ソーセージとベビーリーフとか、クリームチーズにはちみつとか、いろいろ巻くと美味しい。レンジで1枚40秒なのでパンより簡単。まあまあバリエーションもつけられるし、流行っていい朝食。

労働。コードの不具合を見つけては直してもらうというのを繰り返す。何度も差し戻してるとコードがぐちゃぐちゃになってよくないと思いつつ。

対馬のクーポン券は、原典、つまり行政文書を読んで、そういうものと諦めがついて、おさまった。 使い切れないほどのお金とヒマがある状態を体感できる貴重な機会かもしれない。お金が使い切れないという気持ちになるのは、お金が多すぎるからではないからだろうな、とか。

2020年9月9日水曜日

クーポン的なもの

こんどは対馬に行こうかな、と思って、予定を考えていた。2020年9月現在、対馬行っ得!クーポンというのがあって、かなりの額が配られている。ちょっとおまけとかでなく、旅行するかどうかを左右するほどの額。しかし、配布ルートや要件が曖昧で、自分の調べた範囲だと、航空便をつかう場合には旅行会社を通して宿泊施設まで込みのプランを申し込まないとクーポンが使えない、したがって宿泊代金にはクーポンが使えない。クーポンの用途は、その場で消えるもの、すなわち交通手段と宿泊代金と飲食代とアクティビティに限定されている。それでこの金額を使い切るにはどうすればいいのだろう。

いま国内の観光は、コロナ時期に限らず以前から、この手の公的クーポンがいろんな形で入っていて、市場が歪められている。消費者側としては、どうすれば最善なのか、ただでさえ難しい旅行のプランニングが、ますます難しくなっている。要件が不安定なクーポンをうまく使うには、安定したルートに乗るしかない。結果として、この手のクーポンは、いかにも観光という観光、お膳立てされた路線に乗るだけの観光を助長することになる。地元の人としては、地元をむやみに踏み荒らされるよりも、自分の行かない観光専門の場所でお金を落としていってくれるだけのほうがいいから、むしろそれがいいのかもしれない。でも観光客側はすぐに飽きて、長期的には、国内旅行の魅力が損なわれる。

クーポン的なものは、いつも目先のことしか考えていなくて、長期的には意味がなくて、体力を消耗する。それをずっとやっている。一般に、クーポン的なものがとても嫌い。でも個人と社会は別であって、個人としてはクーポンのおトクは追求するのが道理。なので、まあ、しかたない。

2020年9月8日火曜日

20200907

朝、身体がしびれたように重くてベッドから出るのが難しかった。きのうの岩盤浴の効果なのか副作用なのか関係ないのか。

労働。きょうはめずらしくいい仕事をした感。ルータを交換したら、インターネットがほとんどつながらないばかりか室内のLANの調子まで悪くなって悲惨だった。

昼はステーク・フリット。それにヴィシソワーズとエスプレッソがつく週替わりランチ。フランス人の国民食。大好き。もう一回行きたい。店の人たちが非常に親切だった。

労働のあと、気楽に皮膚科に行く。行き帰りと待ち時間で岩瀬博太郎『死体は今日も泣いている 日本の「死因」はウソだらけ』を読了。法医学の本。日本の死因の調査、司法解剖や行政解剖の制度はボロボロで、その結果、死因はウソだらけ、らしい。全然予算がなくて、制度がずさんで、本来なら国がすべきことを、大学の倫理観に甘え、そのうえで大学の予算も削ろうとしている、らしい。よくある話。他の多くのことと同様に、きっとそうなのだろう。

上の年代はもちろん、同年代でも結構、日本の現行制度は、基本的にうまくできていると前提しているタイプの人がいて、そういう人は、この本を読むとショックを受けるだろう。自分の場合は、基本的に全然ダメだろうと前提しすぎるタイプなので、ああ日本ぽいと思っただけで、そういうのに馴れきってしまっているのもなとは思う。

死因といえば、ときどき日本では怪しい変死事件があると思っていて、たまにそういうのをみつけると書き加えるリストを持っている。

自分の後ろ向きな気持ちは置いといて、この本はもっと建設的で、ためになる。

秋田県では例外的に、異状死の多くを解剖するらしい。その結果、
「秋田大学で、風呂で亡くなった人の死因を調査しました。それによると、秋田県では、溺水、心臓死、脳出血がほぼ等確率であがっています。富山県ではほとんど溺水。山口県では心臓死が多いのです。/解剖することなく適当に死因を決めて書いているから、このようなばらつきが出るのでしょう。」(p.87、表現一部改変)

こういうことがさらっと書いてあって面白い。

法医が解剖して死因を探るのは、事件性があるかないか、誰が犯人か、といった個別ケースを知るためだけではなく、統計的な処理を通じて公衆衛生(というのかな)的な機能も持つ。ちゃんと解剖してデータを積み重ねることで、最近こういう事故死が多いから予防しようとか、災害での死因はこういうのが多いから注意しようとか、そういう予防にもつながる。法医学とは、授業にでて解剖にでて答案を書いて単位をもらった程度のつきあいだけども、そういうことは考えたことがなくて、視野が広がった。

2020年9月6日日曜日

20200906

昨日買ってきた空也の最中がおいしい。バターを挟むとなお美味しいことを発見し、こういうのにハマりはじめると太りがちなのだと思い、インタビュー記事で拝見した空也の跡継ぎ氏を想った。

空也の最中は、いまのところ、黙っていても毎日売れる。跡継ぎ氏はただただ同じことをしていれば安泰と世間では思われているかもしれないけれどきっとご本人はそのようには思っていなくて、いつ何がどうなってもおかしくないと思っていると思う。

世間的にあんまりしんどいと思われていない人にも、またちょっと違ったしんどさがそれぞれにある。いかにもしんどいとされてる人ももちろんしんどくて、それに比べてしんどいかというとそんなことはないんだろうけれど、とはいえそこは比べるものではなく、やっぱりしんどい。その中身に寄り添いたいと思う。

昼に美味しいものを食べに行こうとしたけれど気がつくと余裕でランチが終わりつつあったりして、きょうはずるずるしているので、このままではサザエさん症候群になるので、近所の温泉へ。食事をして、岩盤浴を試して、長いこといた。くつろいだ。

沢木耕太郎『世界は使われなかった人生であふれている』をつまみ読み。『暮しの手帖』に連載された映画評論集であるのを知らずにエッセイ集と思って手にとった。表題作の最初のと、最後のが良かった。中の映画の話は、その映画を観る気がないと、他人の夢の話を聞いてるようでしんどいので、ひとつふたつだけ。

最初の「世界は使われなかった人生であふれている」は、「使われなかった人生」は「あるかもしれなかった人生」とは微妙にちがうもので、使われなかったことを惜しく思うときがきたらそのときには一部でもよければ使うことができる、という話。

最後の「そこには銀の街に続く細い道があった」は、映画評論をするようになって銀座の試写室に通うようになると、ハリウッドだけでなく世界の映画を見るようになって、それで世界を旅していたときにはついに触れられなかったような現地の人々の生活や思いに触れることができた、という話。

深夜特急の旅は、沢木さんの心のなかでやっぱり大きいんだなと思い勝手にうれしくなった。銀の街、とは、銀幕の向こうの街であって、ついでに銀座のことなのだけど、そのあたりとくに説明なしに、突然このワードを放りこんで一気に話を終わらせるところにしびれた。 この人の造語は魔術。

20200905

好きな本を好きなように読みちらして、おもむろに銀座を散歩して服を見た。いい日。

銀座で昼食、ひさしぶりに〔むとう〕。牛肉をなんでもなく焼いたものが昔祖母の家で食べたもののようでおいしかった。パナマ帽で洒落た眼鏡のにこやかな紳士が入ってきて、銀座の旦那の風情でかっこよかった。1500円で背筋が伸びてお得だった。

服屋の店員さんと別のブランドの話で盛りあがり、そうなるとお買い上げしたくなり。ネットで見てたら売り切れてたサイズがリアルだとあったりして、ネットだけみてたらあかんのかなーと。ネット好きだけど。

会社法に社債管理者という制度がある話を聞いた。なにしろ面倒で、そんなのの詳細は、会社法でわざわざ決めるのではなく、抽象的なことだけ決めておくほうがいいのに、と思った。当局は、制度の細部まで法律で決めることのコストやリスクを軽く考えすぎている。君らが決めなくても、というか、決めさえしなければ、実務が効率的な形を作っていくだろうに。

小田嶋隆『上を向いてアルコール』読了。読み終わった後に買いたくなった。「酒をやめた男の気持ちを知りたかったら、翼をなくした鳥にきいたら教えてくれるとおもうよ」

アル中から脱却するというのは、酒がない人生をゼロから組み直すという作業で、その点がタバコよりもダイエットよりも難しいとか。4LDKの家の2部屋だけ使って暮らしているような心地がすると。

そういう、スタンスの取り直し、生き方の再構築、が、実は本質であるようなことは、たくさんある。いわゆる断捨離とか節約とかもまさにそうだし、勉強をするとか、ファッションを楽しむとか、なんだかんだいろいろそうだ。むしろ何でもそうなのかもしれない。

にもかかわらず、そういうことは、世間的にはもっと表層的、物質的な問題として扱われがちで、「ふくらはぎをもみなさい」みたいなしょうもない指針がたくさんあって、でもそういう単純な作業を遂行することに落としこみたい人もたくさんいる、とも、この本には書いてある。

何かに依存することは、自分自身であり続けることの重荷から逃れること。酒飲みの人は、酔っぱらいという自分を少しずらしたような別の人格を操って生きている。それに慣れている。

ほとんど飲めない身として言いたいことには、それができない人生というのはけっこう大変だ。酒が飲めなくて、職業もないと、自分自身であり続けないといけなくて、それはけっこうしんどいし、ときどき損をしてる感じすらする。他の人はキャラとか立場とかの殻があっていいな、こっちは剥き身なのになと。まあしっかりした殻があったらあったで、重かったりおさまりが悪かったりするんだろうけど。いまは薄い殻があって少し楽だ。

あと、文章の話。自分の文章力は、自分の文章に対する審美眼を上回ることはないので、文章を書くということは、自分の文章のまずさに耐えつづけることだ、と。しみた。

ルータが故障したかもと思って、メルカリで取り寄せて交換してみた。結果は良くなったような変わってないような。前のルータも設定ミスだったのかも知れない。

アイスティー。ティークリッパーのアールグレイを2つ、お湯200ccで10分出したあと、水を入れて1Lにして半日。 

2020年9月5日土曜日

20200904

労働の後、ベッドに転がったら、最近感じたことのないような眠気が全身から出てきて、気がついたら2時間ほど眠っていた。

小田嶋隆『上を向いてアルコール』を半分ほど読む。アル中にというよりは小田嶋隆さんに興味を持って。おもしろい。こんなふうに、話を聞くようなテンポで読める文章が書けたらな。

赤いTシャツ、白いポロシャツ、買うべきか、買わざるべきか。スメドレーのポロシャツをためしてみたく、紺がいいような気がするけど、白が安くなっている。ポロシャツと一口に言っても型番がいろいろあって、ひとつひとつ調べては呻吟する。手持ちのポロシャツは白も紺もそろそろ寿命な気もするし、まだもうすこし着られる気もする。うだうだと考える。

ものの欲しさ、買っていいかどうかの判断、いつも難しい。スパッと決められるといいような気もしつつ、そういうのを雑にせずにひとつひとつ悩んでいくのが大事な気もする。短期的な資金制約に身を委ねるのはむしろ楽なことで、価格や機能の制約がなくなってからがむしろ悩みの本領というか、研鑽というか。

2020年9月4日金曜日

20200903

朝はクロワッサン。クロワッサンはフランスでは少しだけ贅沢なもので、バゲット1本とクロワッサン1個が同じ値段だと聞いたことがある。クロワッサンを美味しく食べられるということは、あるていど豊かでヒマだということであって、つまり、幸せは美味しいクロワッサンを食べた個数で計れるのではないかと考えるようになって、この15年ぐらいクロワッサンは特別な存在である。

今朝も量子論の本。脱出速度の話。地球の周りを飛ぶロケットは、スピードが遅いと地球の引力で楕円の軌道に乗る。速いと地球の影響を離れて双曲線の軌道になる。ちょうどその中間にあるときだけ放物線になる。だから、楕円と双曲線はたくさんあるが、放物線は一種類ですべて相似である、という説明を読んで、虚をつかれた感があった。放物線はすべて相似というのは知ってたような気もするけれどあまり意識したことがなかった。頭にいろんな放物線を思い浮かべても、とても相似とは思えない。不思議。

労働。昼はお弁当。ごはんがおいしくてびっくりした。午後はえんえんと打ち合わせをしていて、しかしケンカになることなく建設的な雰囲気があったのでなかなか充実していた。部下ちゃんが想定よりはるかに早くコードを仕上げてきた。優秀すぎる。

VBAのことでSと打ち合わせ、というか半分ぐらいは旅行の話とか雑談。VBEのツールを讃える。早く一旦クローズまで持ち込みたい。

腹が減った。夜は紙かつを軽く平らげた。散歩。最近、珈琲豆難民で、いろんなところで豆を買ってみるけれど、なかなか満たされない。漂流しだすとしんどくて、その反動でいったん決めるとそればっかりになる。ドリップパックはそれでずっと小川珈琲だ。ハーブティも買ってみた。

2020年9月2日水曜日

20200902

夜中目が覚めて、朝少々眠かった。歯の治療、本人は麻酔をかけてて気づいてないが、身体はストレスに感じていて、そのせいなのかなと思った。

朝は物理の本。量子論では物体は位置を占めるという概念すら揺るがされる。それをもう一歩進めて、分子を構成する原子は、すべて中心の全く同じ位置にあるという考え方が出ても良かったはずだ、もしそういうことをいいだす学生がいたらその優秀さに感動したと思うが、三十数年教えて結局一人もいなかった、と書いてあって、物理の底抜けの自由にしびれた。そこまで行ってもいいのかと。

労働。VBEアドインは高解像度にみごと対応。難しいところをしあげた。新しい依頼の、要件をまとめて、手渡した。結果としては、いろいろできた。

昼は洋食。オムライスにエビフライ。サービスが遅いのに閉口したけれど、とても美味しかった。とくにコンソメ。

ネットの調子が悪い。ルータの故障の可能性を考えた。ルータは保証期間内で無償修理できる。けれどもルータを修理に出すとネットができない。安いルータだからどうせ修理なんかするわけなくて交換なのだけど、先に新しいものを受け取るサービスがない。修理中は代品を提供するとパンフレットには書いてあるのに、どこに電話しても代品は出払っているという。一計を案じて、メルカリでみたら普通にルータが売ってたのでぽちってみた。ごちゃごちゃした手続きの沼を、どうやって回避するかが重要な現代日本社会。現代でなくても、日本でなくても、か。

夜はなつかしい場所で、ITとか出版とかの会議。話をすすめていく役回りが久しぶり。どうにか役目を果たした感。

朝も夜も無花果。美味。 

2020年9月1日火曜日

20200901

朝、トチク先生の『なっとくする量子力学』を読む。2日目。なるほど名著。この世代のこういう学者の文章は洒脱でかっこいい。波であり粒子である、確率論的に存在する、というのがもうすこしで体に入ってわかりそうな手応えがある。こういう感覚は量子論を学び始めた誰もが持つものなのだろう。

労働。Excelの入力規則で、リストをコンマ区切り文字列で設定する場合、255文字以内という制限がある、ばかりか、VBAでその制限を超えて設定すると、エラーにならずに設定できてしまい、しかし保存してファイルを開こうとすると、ファイルが破損していてプログラムがまともに動作しない、という恐ろしい事象に立ち向かう。結果として、プルダウンリスト専用シートを意識せずにリストを設定できる汎用的なしくみを作れそうで、気分が高まる。プログラミングは楽しい。

SくんのVBEアドインの新作を試す。ショートカットキーが激しく便利。コメントとコンパイルはすでに身体になじみつつある。

昼は割烹ランチ。カニが食べたくなって蟹飯を奮発してみたが、カニの身からはアンモニアの刺激を感じた。石垣島で食べたグルクンの唐揚げもそうだった。カニのせいなのか、自分の鼻のせいなのか、よくわからない。昔からトリュフの香りがあまりわからないのだけど、そういうかんじで、そういう鼻なのかもしれない。トリュフのほうは最近ようやく少しだけ認識できるようになった。

18時に労働を終えて、歯医者。行きがけの電車で読む本が楽しみ。きょうは中田考『70歳からの世界征服』全体的にめちゃくちゃで、ときどき、すっと胸に入る。えらてんさんはアナーキスト。同志。こういう思想をていねいにまとめてみたい。田中真知さんのあとがきがまた最高。

夜はサラダ。アプリで注文するのを面白がって試す。既成よりはカスタムのほうが満足度が高いようだ。外間守『沖縄の歴史と文化』を少し読む。沖縄史の古典的名著だそうだ。歯切れがいい。 

2020年3月6日金曜日

旅 東アフリカ 03

Day 3 (2019/12/27):サファリ2日目


5時半に起床。ここまでの睡眠不足を取り戻した。外はまだ真っ暗。レストラン棟で、昨日注文しておいた朝食の紙袋を受け取る。バナナマフィン、ソーセージ、フルーツ。それに熱いコーヒー。ドライバー氏もやってきて、スタッフにちょっかいを出している。

何でも一番が好きなドライバー氏。一番に出発して、渡し船の乗り場に一番乗りして、7時の出発を待つ。I am the first, I am strong man. が口癖。おれは strong だから子どもは6人いるのだ、こんど妻を増員して、あと4人は作るのだ、と。

朝焼けが美しい。川を眺めていると、水辺に寄るな、ワニが出るぞ、と。

渡し船で北側へ。中国の建設会社が橋を作っている。やつらは我々の国立公園を破壊している、とドライバー氏。橋があればほんの少しは便利だけれど、渡し船で事は足りているように見える。

車の屋根を開けて、サファリに出発。日本の中古のワゴン車を独自改造したものだが、高い視点から外が見られるし、日差しも遮れるし、揺れる車内でずっと立ってるのもしんどいので好きなときに休めるし、よくできた乗り物。朝の景色だけですでに感動している。



マーチソン・フォールズ国立公園のサファリは、北岸の、東西20km弱、南北10kmほどのエリア。ケニア人に言わせると「こじんまりしている」。東京でいえば山手線の内側よりもひとまわり広いぐらい、大阪でいえば淀川の北から神戸までが一面の野原になっていて、そこを動物を探しながら車で走り回る。

いちばん多いのは、鹿のたぐい。ウガンダの「国獣」ウガンダ・コープ。それと、なかなか区別がつかないアンテロープ。あと、とても小さな鹿。


バッファロー。背中によく鳥が止まっている。「ビッグ5」の一角、にしてはとてもありふれている。(ビッグ5=ライオン・サイ・ゾウ・バッファロー・ヒョウ)。

バブーンもいる。サル類は、見通しのいいサバンナよりも、森の中のほうが暮らしやすそう。
キリン登場。そのへんにキリンがいるシチュエーションに興奮。大きい。天然のクレーン車。


ゾウを探す。ドライバー氏がゾウのフンをみつける。まだフレッシュだから近くにいるにちがいないと。広い野原に出ると、そこに忽然とゾウがいた。神々しい。車が集まっても気にせず悠々と歩く。

きれいな鳥たち。


動物が檻にいるのを見るのと、こちらが車という檻に入って自由な動物を見るのとでは、まったくちがう。キリンもゾウも、見たことあると思っていたけれど、サファリのを見ると、これまで見たことあると思っていたのは何だったのかと思った。日本にはキリンもゾウもいないけれど、とくに子どもの世界なんかでは、キャラクター化されて身の回りにやたらと登場する存在。でも、その本物を見るには、ここまで来るしかない。

ひとたびキリンが野原にいるのを見ると、あれがどうやって一日中あんな狭い檻の中で暮らせるものかと想像がつかなくなる。一週間ぐらい家にひきこもったあと、おもむろに外に出て、美術館とか、だだっぴろい公共施設なんかに疲れて椅子に座って、そこに自分のいた部屋の大きさを想い描くと、どうやって一日中あんな狭い場所で暮らしていたのかと、いつも飽きもせず不思議に思う。それと同じように。でもそのあと部屋に帰って、結局はもとの狭い空間に身を収める。キリンもそうなのかもしれない。

さて、草食動物に比べて、肉食動物は圧倒的に少ない。見通しのいい平原で、身体の隠しようもない大きな草食動物がいたら、すぐに食い尽くされていなくなるのではないかと思っていたが、どうもその心配はなさそうだった。

何もないところで、ドライバー氏が目を凝らしはじめた。何を探しているのかすら、さっぱりわからない。

ドライバー氏、遠くにある木を指差して「ヒョウだ!」と声をあげた。あそこにいるぞと、指さされても、まだわからない。何しろ見たことがないし、どこにどんな形でいるのかも想像できなくて、うまく探せない。

お前はなんという bad eye だと罵られながら、双眼鏡を借りて木の枝を一本ずつたどると、ヒョウ柄の猫が木の又で寝てるのをみつけた。あれか。。

この公園では、ヒョウは珍しい。ドライバー氏は他のドライバーに電話を掛ける。どうやって場所を伝えてるのかわからないけれど、すぐに10台ばかり車が集まってくる。誇らしげなドライバー氏。

ヒョウを見つけたら、写真を撮る。ヒョウの写真ならもっといいのがネットにいくらでもあるのに、それでも撮る。昔だったらライフルで撃ったわけで、それが男のロマンとされていたわけだが、今となってはそんなことをしても迷惑でしかない。写真だけでみんな満足するようになってよかった。ヘルシーでエコな遊びになってよかった。ポケモンを探すのと同じような遊び。

満足してロッジに帰る。昼食。きのうガイド氏が食べていたチャパティがおいしそうだったので、チャパティのラップサンドにしてみたら正解。シェフがインド系なのだろうか、あるいはウガンダではチャパティをそれだけ良く食べるのか。

部屋で少し休んで、午後はボートサファリ。おもしろいガイドさんとナイル河をゆく。カバがたくさんいる。たくさんいすぎて珍しくなさすぎて、あまり写真をとってかった…。カバはとても危険な動物で、アフリカで最も人を殺す動物は蚊で、そのつぎはカバなのだという。陸上で暴れまわっているところを見てみたかった。


ワニ登場。トイレに行きたい人がいたら、ボートを降りてそこの茂みでどうぞー、とガイドさん。そこまでいわれても、ムスング(ウガンダで黒人以外の白人や黄色人種はこう呼ばれる)はなかなか気が付かない。ボートで近寄ってはじめて、おどろきの声があがる。


ワニは動かない。哺乳類だといくらボサッとしていても、目のあたりとか、お腹まわりとかに動きがあるものだけれど、爬虫類はしくみがちがうらしく、本当に模型のように全く動かないので、相当近づいてもうっかり気が付かなさそう。


崖には穴があって、きれいな鳥が棲んでいる。トルコのカッパドキアでも、中国は洛陽の龍門石窟でも、最近たまたま似た景色を見た。ゾウやキリンも川から見られる。

滝に到着。ここで折り返す。あらかじめ申し込んで15ドル払っておけば、ここから滝のてっぺんまで1時間ほどハイキングをして、そこにドライバーに迎えに来てもらうように手配できたようだ。滝を見に行く往復が省けて効率的だろう。帰りもいろいろ動物がいるので飽きはしなかったけれど、まあ同じ景色なので。

17時ごろに船着き場に到着して、ロッジに戻る。ほっとする。夕食と明日の朝食を予約。ドライバー氏と行程を相談。朝ゆっくりめに起きてゆったり朝食してそのままカンパラに帰ろうというドライバー氏の提案だったのだけど、遠くから来たし、もうちょっと頑張ってみたい、とお願いして、明日も早朝からサファリに行くことになった。

夕食は川でとれるナイルパーチのフィッシュアンドチップス。さすが英国文化圏、おいしい。ナイル川では昔からティラピアやナイルパーチの養殖が行われている。Krestはアフリカ特有のビターレモンのトニックのようなソーダ、気に入った。デザートにはレモンケーキ。

今日も早く寝る。おすだけベープに斃れたホタルが、床の上で光っている。気温にも虫にも悩まされず快適。


旅 東アフリカ 02

Day 2 (2019/12/26):サファリ1日目


6時起床。外は大雨で真っ暗。びちゃびちゃの中庭で、律儀に朝食が用意されている。料理が濡れないように、盛り付けるときだけスタッフが蓋を開けてくれる。丁寧だけど、ここまでするなら部屋の中にすればいいのにと思う。アフリカには、妙に律儀なところがある。

1日目は滝を見にいって、2日目は午前にゲームサファリ、午後はボートサファリ、3日目の午前は軽くゲームサファリをする、というのが、レッドチリのサファリツアーの規定のスケジュール。

大雨だし、国立公園に早く着いても今日は滝を見るだけだし、と思ってゆっくり出ることにして、ドライバーの迎えは8時に頼んでいた。ところがドライバーは7時半には到着していて、8時過ぎに出ていくと、遅い!という。

その時点ではわからなかったのだが、もしもっと早くに出ていたら、1日目の夕方に1回目のゲームサファリに行けたそうだ。そうすると、2日目のボートサファリを片道だけにして、滝までハイキングして、そのまま滝を見て、3日目は朝ちょっとゆっくりして早く帰ってくる、というプランが可能だったようだ。

いま思うと、このプランは合理的で、移動距離が少ないし、朝だけでなく夕方のサファリが楽しめる。1日目・2日目のサファリがうまくいかなければ3日目にさらに追加することもできる。もし同じようにカンパラからマーチソン国立公園2泊3日ルートを試みる人があれば、早起きしてこのプランに挑戦してみてほしい。

大雨の中を意外にスムーズに車は走る。道はところどころ川、どころか、滝のようになっている。


めちゃ高いけどおいしいコーヒーがあるけど飲んでいく?といわれて寄ったコーヒースタンド。ウガンダ産のコーヒー。7000シリング(230円)。運転手氏のぶんと2つ購入。ローストが深くて抽出の薄いスタバ的な味。なごむ。


国立公園に近い街、マシンディへ。道路脇に見える景色はアフリカ。赤土。小間物屋。その前でくつろぐ人々。角のある牛。羊。それを追う牧童。草づくりの小屋。写真が撮りたかったら止めるから言ってくれとドライバー氏にいわれるが、あっと思ったら通り過ぎていて、なかなか戻ってくれともいえない。着いたばかりで何を見ても珍しすぎて、撮りたくなるものはあまりにも細かすぎて、それがあとで登場するものなのか、ここにしかないものなのかもわからなくて。結局写真はほとんどあきらめて、ただただ窓の外を眺めて初めてのアフリカの景色を摂取していた。




ロードサイドで、ウガンダ旅行者に人気の牛肉の串焼き。2,000シリング。たしかに、おいしい。中国の羊肉串のようにスパイスを効かせるのではなく、ほとんど塩だけというような素朴な味で、肉は見た目ほど固くはない。


マシンディには刑務所があって、派手な囚人服の人が農場で働いていた。

ツーリスト向けのレストランで昼食。ウガンダっぽいものを食べてみようと、ヤギのシチュー。主食はフライドポテトとポショを注文。24,000シリング。これも昨日と同じような優しい味。ヤギ肉には心配したクセはまったくない。肉は食べにくいので、ダシガラと割り切ることにした。

マシンディを出て、ほどなく、舗装のない赤土の道に入る。このあたりは電線があるけど、これはフェイクで、電気は来てないのだとドライバー氏。水道もなくて、ときどき井戸があって、そこで組んだ水をポリタンクにいれて自転車に乗せて、あるいは頭に乗せて運んでいる。人々の顔は明るい。



国立公園の入り口に到着。入場料の80ドルを払う。ドライバー氏はしょっちゅう来ているそうで国立公園のスタッフと仲が良い。今回はドライバー氏がガイドも兼ねるとのこと。

ほどなく動物登場。バブーン(baboon)と呼ばれるヒヒ。


1時間半ほど走って、滝のてっぺんへ。あまり滝に興味がないほうだけれど、行った人がみんなすごいすごいと書いていて、どんなものかとおもっていた。たしかに、すごい。高さはそんなにないのだけど、大量の水が岩に叩きつけられてはしぶきがあがり、飛沫が細かくなって空気に漂って虹がかかる。展望台から見下ろしていても身体が濡れる。岩なんかすぐに削れて無くなってしまうのではないかと思うほど。いろんな滝を見たけれど、こんなに荒れ狂ってる滝は初めてかもしれない。雨の後だったからかもしれない。


キャンプサイトに到着。格安サファリとたかをくくっていたが、案外ちゃんとしている。明るいスタッフから、わかりやすい英語で注意事項を聞く。食べ物を持って歩くとバブーンに襲われるとか、夜にカバに出くわしたらどうするかとか。今回の滞在中はイボイノシシにもカバにも会わなかった。夕食のメニューも選べる。充電もできる。



基本料金の場合はテントになるが、追加料金を払ってロッジにしてみた。思ったよりおしゃれで快適。ウガンダの国立公園はマラリアのリスクが高い地域。ドアに窓に部屋の四方に、結界を張るようにおすだけベープを吹きつけた。シャワーは水だが、日があるうちに浴びたのであまり気にならなかった。

夕食。クリスマスのスペシャルメニューのローストチキン。それに大量のマッシュポテト。おいしい。ドライバー氏はチャパティだけ焼いてもらって食べていた。食後は焚き火とホタルを眺めてコーヒー。サバイバル生活と思っていたが、ほとんど不便を感じなくて、むしろ快適。ヨーロッパから家族で来ている人が多い。



蚊帳に入って、8時に就寝。夜は部屋の電気が止まる。扇風機も止まるが、暑くて眠れないということも(ぎりぎり)なかった。







2020年2月13日木曜日

旅 東アフリカ 01

初めてアフリカに行ってきた。アフリカ旅行も、他の海外旅行と同じように、時間を確保して航空券を買ってホテルを予約して、あとは予防接種とかビザとか多少の面倒はあるにしても、行ってしまえばふつうに行ける。

とはいえ、やっぱり情報が少ない。2020年現在、日本語の最新のガイドブックは4年前のものだ。出発前にフォートラベルも個人のブログも、世界一周旅行者たちのブログも、何度も読んだ。旅先で会う日本人たちもみんなそうで、全員が全ブログを全部読んでるのではないかと思うほどだった。

行くとなると相当しょうもないことでも役に立つもので、たとえば「この場所はくつろげそうかどうか」がわかるだけで、あそこにいったらあのくらいくつろげるんだな、みたいな心構えができて、それだけでも旅が少し快適になったりする。

だから今回は、とりとめなく、旅のことをただただ書いてみようと思う。もし何かが誰かの役に立つことがあればうれしい。

Day 1 (2019/12/25): 東京→アジスアベバ→カンパラ


クリスマスイブの夜に、エチオピア航空で成田を出発。ゲートで搭乗前に名前を呼ばれる。予期せぬアップグレードでビジネスクラスに。席はフルフラットではなくライフラット、このタイプの席は初めて。オープンなので、前に乗ったエアカナダのようなおこもり感はなく、横になれる深夜バスの座席。とはいえ、ありがたい。修行の功徳か。



食事。東京を出たときと、

ソウルを出たときと、



同じボリュームの同じようなメニューの機内食が2回出る。2回めは夜中2時に…。サーモンはとても美味しい。元宗主国のイタリアの影響か、ときどき奥の深い美味しさがある。(と、このときは思っていたけれど、帰路のエコノミーの食事を経た今となっては褒めすぎと感じる。)

隣は、航空マニアのケニア人氏。完璧すぎる日本語を話し、ふるさと納税では何を頼むのがいいですかね~とか日本になじみすぎている。おもしろいけど身体に比例して声が大きく、周りの人からあの人うるさいから声を小さくさせてくれといわれて板挟みになって恐縮する。

朝食はパンケーキにしてみた。



ビジネスクラスの常で、あっという間にアジスアベバ到着。基本的人権のある人間が、長時間乗る飛行機としては、このくらいが標準であってほしいなどと思う。いつものエコノミークラスに戻ると、住めば都、と思うのだけども。


ターミナルに横付けしてるのに、なぜかボーディングブリッジは伸ばさない。この便の常連であるケニア人氏いわく、エチオピア航空はどんなに空いていても必ずバス移動で、意地でもブリッジを使わないのだとか。お客からすると圧倒的にブリッジが楽なのだけど…。

乗継時間は1時間。ふつうにターミナルを経由しても間に合いそうだが、バスに乗せられて次の飛行機へ直接移動。ナイロビ、モンバサ、ウィントフックなど、アフリカのいろんなところへ行く人がいる。隣の席に乗り合わせたご婦人は、日本からのツアーでコートジボワールのアビジャンへ行かれるとか。エチオピア航空は日本や韓国からアフリカへの数少ない直行便で、南・東・西・北のどのアフリカに行くにも最適ルートのひとつ。アジスアベバは見事にハブとして機能している。

次の飛行機に乗り込む。身体を伸ばす間もトイレに行く間もないのはちょっとつらい。日本発の便を出て、現地発の便に乗り継ぐと、完全にアウェイになる。とくにここはアフリカなので、周りの人がみんなアフリカ人になって、海外に来ているのだ、気を引き締めなければ、と思う。

2時間半ほどのフライトで、エンテベ空港に到着。eVisaを申請してあるので入国審査は他の国と同じ。殺風景な空港で、WiFiも飛んでいない。SIMを売っている売店には人がいない。ATMは使える。タクシーは、はじめ20万だか15万だかいわれたが、相場とされている10万シリングを言ってみたらあっさりとOKになった。旅の両替はATM派。ATMで使うのは、その道で有名なセディナカード。現地ATM手数料はちゃんと無料だった。

ついでにネットは現地SIM派。今回はeSIMに初挑戦。あの小さなnanoSIMをなくさないかと怯えながら抜き差ししないでいいので便利。eSIMのアクティベートには、スマートフォンのカメラでQRコードを読み取る必要がある、つまり、使いたいスマートフォン以外のものにQRコードをダウンロードしておく必要がある。端末複数台持ちが前提というのはハードル高い気がするけど、もう世界はそういうものなのだろうか。自分の場合はMacBookをもっていくので、そちらにAirDropでスクリーンショットをコピーして、無事にアクティベートできた。まあまあつながるが、ときどき途切れる。SIMのせいなのかはわからない。ウガンダの場合、電気もときどき途切れるようなので、ネットが途切れるのも不思議はない。eSIMはどこのキャリアがどこの国に対応しているか探すのが大変なので、検索サイトesimdbが便利。ウガンダではAiraloを使った。

タクシーの運ちゃん、市内についてから結構遠かったからもう数万シリングほしいとか言ってる気がしたけれど笑ってスルー。〔シャングリ・ラ〕に到着。シャングリ・ラに3000円で泊まれて幸福、といいたいとこだがおそらく名前だけで関係はないホテルだろう。丘の上にあって、思ったよりもアクセスは良くない。どこにいくにもボダボダに乗らないといけない。夜は人通りがないのでちょっと歩けない。ただまあ、車なりバイクなりに乗ればすむことではある。この街ではどこに泊まるのが便利なのか、結局よくわからなかった。

部屋は古いけれど、手入れされた味があって、大きなバスタブもついていた。このホテルは宿泊客はランドリー無料という太っ腹なサービスがあって、試してみたかったが、朝に出して夕方に上がるというスケジュールに合わなかった。

少し部屋で休んだあと、市内探索へ。緊張して歩き出したが、大丈夫そうだ。

オールド・タクシーパークと、ナカセーロ市場へ。カンパラのダウンタウンのこのあたりはあまりがらの良くない所とされていて、人が多くてガサガサしている感じではあるけれど、凶悪だったり殺風景だったりではなかった。どこにいっても、とにかく目立つ。ハウアーユー、チャイナ!と声をかけられる。ほっとけばいいのにノー・チャイナ!と笑顔で返すのが旅の最後まで挨拶代わりになっていた。

現地で働いていた友人に、ウガンダのパイナップルはそれはもう美味しいものだと聞いていた。ナカセロ市場でパイナップルを売っていた。気がついたら買っていた。ウガンダで初めての買い物。大きなお札をよくわからないまま出して、適当にお釣りをもらう。食べてみると、なるほど甘い、決して酸っぱくないわけではないけれども口が痛くなるようなことはなくてひたすらジューシーで、香り高い。ウガンダのパイナップルには芯という概念は無いので、スライスするとドーナツ型ではなく円盤型になる。


おいしいパイナップルといえば、台北でごはんをごちそうしてくれた紳士を思い出す。台湾の仕事をするうちに、台湾が好きになって移住したそうだ。紳士いわく、台湾の生活で何がいいかって、フルーツが美味しいことですよ、マンゴーもライチもいいけれど、私はパイナップルですね、日本で食べるのとは全く別物、あの季節になってきたときの、芯まで甘いのがたまらない、しかも信じられないほど安い、夜に屋台で売ってるのをまるごと買って、冷蔵庫で冷やしておいて、毎朝食べるんです、と。その話を聞いてから、自分の中でパイナップルは、外国にいて自由であることの喜びと結びついている。

ナカセロ市場では、地べたに物を広げて売っている。日本でも卸売市場では地べただし特に珍しいことでもないのかもしれないけれど、町中の駐車場みたいなところなので若干新鮮ではある。歩いているととにかく声をかけられる。声をかけられる写真は快く撮らせてもらえる。


ウガンダ名物の食用バナナ、マトケ。


ひとしきり歩いたあと、おもむろにボダボダ(バイクタクシー)に声をかけて乗ってみた。後部座席用のヘルメットはないのかと言うと運転手自身のものをかぶらせてくれた。

3000シル(90円)でウガンダ博物館へ。メリークリスマス!と迎えてくれた。先史時代から現在までのウガンダの歴史、生活文化の展示。展示はよくまとまっていて見やすい。客観的に陳列するというよりはテーマを伝えようとする、英米系の美術館らしいプレゼンテーション志向。

特設展でイディ・アミンの展示をしていた。ボクシングで東アフリカのヘビー級チャンピオンという肩書を持つ、ウガンダの元大統領。嗜虐的な大量殺戮で悪名高い、アフリカの独裁者の代名詞的な存在。その名は極東に伝わると、響きがかわいいということで、岡村孝子のユニット名「あみん」となった。

ひと通り見て帰りがけ、係員のおねいさんと立ち話。メリークリスマス、ハウアーユー?と挨拶したら、何がメリーなものか、世間はホリデーだっていうのに私はこんなところで労働で、子供の相手ばっかりさせられて、まったくロクでもないクリスマスだわ、と長い返事がかえってきた。裏に伝統的家屋の展示があるときいたけど、というと、ヒマだから連れて行ってあげる、とのことで案内してくれた。こんもりとした草作りの家。入口が狭くて中は暗い。そのあと色々なところで、この様式の家を見ることになる。東アフリカの原風景か。

足を伸ばして、マケレレ大学にいってみた。ウガンダで一番の名門で、東アフリカで最も歴史のある大学のひとつ。植民地時代は、ここにケニアやタンザニアから学生が集まっていたという。この場所に、旧ソ連のようなコスモポリタンな雰囲気というか、国境を超えたエリート層の連帯みたいなものがあったことを想像してみる。学内は普通にきれいだった。ハシビロコウだかハゲコウだか、歩いている状態で1メートル以上もあるバカみたいに大きな鳥がいた。木の枝がおれないのかと心配になるほどたくさんいて、東京のカラスのように傍若無人にごみをあさったり大声で鳴いたりしている。しゅっとしたスーツを着て歩く男がいた。世界で一番スーツが似合うのは黒人ではないかと思った。

ボダボダでアカシア・モールへ。市内中心部ではいちばんのショッピングモールだろうか。周りには人が全然いないのにここだけは新宿駅構内ぐらい人で溢れていて、歩くのにも苦労するほど。今どきのアフリカの都会らしい何かを感じられるかとあらぬ期待をしていたけれど、物販にしても飲食にしても、とくにどうというものは見あたらなかった。人が多くてスーパーに入る気もしない。


疲れた。カプチーノ(300円)を注文してとにかく座る。ケニアに本店のあるフランス風のカフェ。お腹も空いたけれど、あとでアフリカらしいものをちゃんと食べたいと思い、デニッシュだけにしておく。

信じられないほどの大雨が降ってきた。シャワーではなく、それこそバケツを引っくり返したような雨。止むまでは移動できそうにない。肌寒いカフェで過ごす。

その間、明日のサファリツアーの調整をする。ウガンダでバックパッカー向けのサファリツアーを開催しているレッドチリ社に申し込んでいたが、直前まで参加者が集まらず、もともと他にもう1人いて2人だったのが、前日になって結局キャンセルされて1人になって、ツアーは中止に。2日後にあるからそっちに参加してくれと言われたが、短い日程の旅でそこまで融通は効かない。あーサファリいけないかー、いくとしたら大枚はたいて個人で車を手配して大名サファリ、それを前日夕方の今から手配できるとは思えない。

憂鬱になっていたら、レッドチリから返事。行きたいなら車を手配できると。でもお高いんでしょう?と見積をたのんでみたら、思ったよりは安かった。少しおまけもしてくれて、ツアー料金の2倍弱。部屋はテントではなくロッジ、車はサファリ用の車両を手配してくれるという。この天井の開くのに乗ってみたかったのだ。OK!。

予定が決まって、ほっとした。雨がやんで、宿に帰る。このモールのあるアカシア通りというのがメインストリートのひとつとおもっていたが、実際のところはレストランがポツポツ建っているだけの道。道沿いのレストランは「ラウンジ」とかいてあって、バーやサウナもいっしょになっているスタイルで、どうもひとりでは入りにくい。宿のレストランは中華料理で、それもちょっと。トリップ・アドバイザーで店を検索して、ボダボダを飛ばしていってみたけれど、クリスマスで休み。あーあ、食難民。

仕方がないので、アカシア・モールにもう一度戻って、フードコートのアフリカ料理屋で食事(写真は照明ですごい色に…)。チキンのシチュー。主食はライスと、マトケ(食用バナナ)を茹でて潰したもの。ウガンダは主食の種類が多く、何種類か盛り合わせて食べるのも特徴だとか。チキンのシチューはスパイス控えめで野菜の甘さのある優しい味だった。値段は24,000シリング(700円)。現地の物価からすると、とっても高いけれど、フードコートは満員だった。

部屋に戻って、翌朝に備えて就寝。